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やっぱりあった!

ミニヤングボーイ

始祖鳥・・・。

中生代に地球を支配した恐竜から、現在も繁栄している鳥類への進化の道筋を示す、大変興味深い存在。

恐竜の骨格と、羽毛の生えた翼。両方の特徴を併せ持つ特異な存在。

ピコタン史における、始祖鳥にも相当する、興味深い化石が発見された・・・。

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明治製菓のピコタンが発売されたのは1970年代の中盤であった。

発売期間は短かったが、明治製菓オリジナルの「動物ピコタン」、「スポーツピコタン」に直接進化し、

カニタンやカメタンといった2パーツ化への道を進んだ進化系も生まれた。

同時に多くのパチモンが作られ、駄菓子屋やガチャガチャで販売された。

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このサイトを立ち上げてから、ピコタンとよく似た、胴体のくびれの無い人間型ブロックを入手した。

左が純正後期型、それ以外の大きいものがピエロA型

頭と足、腕同士、つまさきと胴体の穴を合体できることから、

ピコタンに非常に近い玩具であることは確かに思われ、当初はこれを明治製菓のピコタンのパチモンであると考えた。

同じ形状で顔がもっと簡易化されたものが、ピンキーブロックという名前が書かれた台紙とともに見つかった。

さらに、大型のものや、made in HONGKONGの刻印のある小型の物も発見され、

この形状の駄玩具にも多くの種類があることがわかった。

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ピコタンには多くのパチ物があるが、そのタグ等に胴体の太いピンキーブロック型のイラストがあるものが見つかった。

左がパチモン顔ありB型、右がパチモン顔ありC型のパッケージ等のイラスト

パチモン顔ありB型は「人形ブロック」、パチモン顔ありC型は「人間ブロック」と言う商品名であったことがわかった。

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いくつものサイズバリエーションがあること、ピコタン型のパッケージに似たものがあること、

これらのことから、この胴体の太い、ピエロの顔を持った駄玩具は、ピコタンから分岐したとすれば、

かなり早い段階から独自の進化をたどり、以降のパチモンに強い影響を与えた可能性が高いことが考えられた。

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しかし、当時の業界紙の記事から、このピエロ型が、実は明治製菓のピコタンよりも更に前に存在していたことがわかった。

詳細は「徹底解明!ピコタンのできるまで(玩具商報から)」を参照されたい。

このピエロ型の駄玩具が、玩具商報(昭和44年1月1日号)にはブロックボーイの名前で、

玩具商報(昭和44年8月15日号)には、モーレツ・ピンキーブロックの名前で売りだされたことがわかった。

これらはどちらも、藤田屋商店というメーカーから出されていたことがわかった。

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この業界紙の記事から、ピエロ型より前に人間型ブロックの他のタイプが売られていたことが判明した。

詳細は「徹底解明!ピコタンのできるまで(タックルボーイ)」を参照されたい。

タックルボーイの商品名で売られていたものだが、円柱形の胴体に球形の頭と、手足がついていて、組み合わせて遊ぶもので、

平面的なピコタン・ピンキーブロックとは見た目は違うが、その目的は同じである。

タックルボーイを紹介した、玩具商報の記事は、昭和43年7月15日号にあり、ピエロ型の紹介された44年よりもさらに一年前である。

この玩具は、大手メーカーであるところのトミーから350円という比較的高価な価格で発売され、

実物を見て驚いたことに、全高12センチもある。駄玩具というより、ちゃんとした玩具屋が扱った物であると考えられる。

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注目すべきは、パッケージに書かれていたPATナンバーで、この番号から特許庁のデータベースを検索し

意匠広報を発見した。

.......................特許電子図書館より引用

先の玩具商報の記事には「タックルボーイは欧米で大変な人気です」とあり、海外に輸出したか、

あるいは海外で作られたもののコピーであることがわかる。

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このタックルボーイ型には、HONGKONG製の小型パチモンが見つかっている。

左から純正後期型、メイドイン香港のタックルボーイ型パチモン、ピエロ小型

初期のガチャガチャなど、日本のプラ製駄玩具が輸出産業に発展する以前、このようなチープトイの主生産地は香港であった。

ピコタン・たこちゅうが出回ってきた1970年代になると、

ガチャガチャのハズレでもなければ、ホンコン製の駄玩具を見掛けることもなかった様に思う。

ホンコン製の小型タックルボーイは、当てモンのハズレであったことが、入っていたパッケージから考えられる。

タックルボーイの小型パチモンが入っていた箱

このような、ホンコン製の駄玩具は、日本のプラスチック製造業が振興すると、自然に淘汰されたものと思われる。

つまり、このようなホンコン製のものがあるということは、人間型ブロックのでデザインが非常に古いものであった可能性が高い。

日本のプラスチック製造業が日本でのシェアを独占に近いまで席捲する前には

ホンコンを主とする外国から、普通に駄玩具が入ってきていたと考えられる。

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玩具業界の海外との密接な関係についての証言を、ひょんなことから、ピエロ型を作っていた藤田屋商店の

当時を知る方からお伺いすることができた

その方の話を要約すると・・・。

ピンキーブロックは海外の見本市で見つけたものを、日本で先に意匠権登録をした業者にロイヤリティを払って

作らせてもらっていたもので、その登録した業者が破産したためロイアリティの支払先がなくなってしまった。

明治製菓から、この人間型ブロックに関するアイデアの使用を打診されたが、

前述の様な事情で断る先もなくなっちゃったので、いいんじゃないでしょうかと答えたところ、

しばらくしてピコタンが発売されたということであった。

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当時の日本の玩具はまだまだ成長段階で、海外の方が質的に優位であり、

日本の業者はヨーロッパの見本市で商品のアイデアを得ていたようである。

ヨーロッパ等で作られ、それぞれの国で意匠権・特許権が設定されているものについては、ロイヤリティの支払いなど、

正式な手続きをして、作らせてもらっていたということである。

同時に日本における意匠権等の設定を、玩具業者や代理店が手配し、他のメーカーから権利を保護することも行われていたらしい。

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もちろん、駄玩具に関してはこのような権利関係の手続を無視して作られたパチモンも沢山あったことが考えられる。

人間型ブロックのホンコン製のパチモンに関しては、

ホンコンでの権利関係が明らかでないので断定できないが、日本の玩具のコピーではなく、

日本でもなされたように、ヨーロッパのデザインから直接ホンコンの業者がコピーした可能性もある。

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で、ここからが、本題。

えっ?最近いよいよ前置きが長くなったって?

しょうがないじゃん。学問は積み重ねの上に新たな発見を位置づけていくもの。

その位置づけの前提になる事情を理解しないと新しいものが、なんなのか、どこに位置づけられるかわかんないじゃないですか。

それに、どうせこのサイト、読んで理解出来る人なんて、非常に少数なんだから。

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非常に大きな、トミーのタックルボーイは、パッケージに意匠権のナンバーを記載してあることからも、

正当な手続きを経て製造されたことが想像される。

ホンコン製のタックルボーイ型、ピエロ型は名称等がわからないので、とりあえず脇に置いておくことにして。

藤田屋商店がブロックボーイを昭和44年1月に、ピンキーブロックを昭和44年8月に発売している。

明治製菓のピコタンが発売されたのは、1974〜1975年前後と思われる。

ピコタンは、ピエロ型ブロックのジョイントを流用し、独自性を出すため胴体をくびれさせたものと思われる。

大型のピコタンタイプがジャボタンという名称であることがわかったが、これはピコタンを強く意識した物と思われる。

ジャボタンのロゴには人形ブロックという名前も入っている。

そのピコタンのパチモンには人間ブロック人形ブロックブロックマンというように「ブロック」という名前が使われている。

ピコタンのパチモンには、あきらかに明治製菓の純正ピコタンの顔の影響を受けたものが多く存在する。

これらの「ブロック」は、ピコタンの大流行時に作られた、ピコタンよりも後にできた物である可能性が高い。

先に紹介した人間ブロック人形ブロックのパッケージの、ピエロ型っぽいイラストは、

以前からあったピエロ型が既に広く認知されていてピコタンの方が新しいことを暗に示すものか、

わざと純正ピコタンとの類似性を薄めるために古い形を持ってきたか、のどちらかであると思われる。

連結部分のデザインはピコタンにそっくりだが、2パーツである部分を強調して、マルコー産業が意匠権登録をした

ポーズブロックロボくんブロックにも、さらにその偽物と思われるポーズブロックマンにも「ブロック」の文字が使われている。

マルコー産業の2パーツ物には、ポーズブロックよりも小さめなものがポコタンの名前で売られていたが、

これは明らかにピコタンを意識したもので、大型化し意匠権登録をする際に名前を変えて、ピコタンとの関連性を薄めようとしたとも考えられる。

先の、ピコタンよりもピエロ型の方が古かったことが判明した、当時の御担当者の方の証言によると、

明治製菓がピコタンを作ろうとした時点で、既に少なくとも日本にはジョイント部分の意匠権者は存在しなかったようである。

そのため、マルコー産業はジョイント部分に関しては競合がないものと判断し、

ピコタンを提案したプレミアムグッズの会社が当時は意匠権登録に意を用いなかったと言っていることもあり、

独自のボールジョイントの意匠権登録に際し、ピコタンの基本形状を躊躇無く使用したという可能性も考えられる。

※人形ブロックは、タグと台紙からマルコー産業の可能性が高い

名称 発売時期 形状等 キーワード

タックルボーイ

昭和43年7月
トミー製、タックルボーイ型、身長12cm ボーイ

ブロックボーイ

昭和44年1月
藤田屋商店製、ピエロ型、身長4cm ブロック・ボーイ

ピンキーブロック

昭和44年8月
藤田屋商店製、ピエロ型、身長4cm ブロック

ピコタン

昭和49年
明治製菓製、ピコタン型、身長3cm タン
ジャボタン
(人形ブロック)
不明 メーカー不明、ピコタン型、身長7cm タン(ブロック)
人間ブロック 昭和52年頃 マルコー産業、ピコタン型、身長3cm ブロック
人形ブロック 不明 メーカー不明、ピコタン型、身長3cm ブロック
ブロックマン 不明 メーカー不明、ピコタン型、身長3cm ブロック
ポコタン 不明 メーカー不明、2パーツピコタン型、身長5cm タン
ポーズブロック 昭和50年頃 マルコー産業、2パーツピコタン型、身長7cm ブロック
ロボくんブロック 昭和50年頃 マルコー産業、2パーツピコタン型、身長7cm ブロック
ポーズブロックマン 昭和55年頃 メーカー不明、2パーツピコタン型、身長4cm ブロック

このことから、人間型ブロックは、タックルボーイ、ブロックボーイという名前に「ボーイ」が入ったものがあり、

ピンキーブロックからは、人間ブロック等の「ブロック」というワードが入った名前が付けられている。

明治製菓がピコタンを発売すると、ピコタンの人気にあやかって、ジャボタンやポコタンといった「タン」の入った名前のものが作られた。

名前を見ると「ボーイ」から「ブロック」、一部が「タン」がつかわれたことがわかる。

大きさをみると、ポーズブロックマンやジャボタンが7センチ、

ポコタン、ピンキーブロック、ポーズブロックマンと、チョコがついていたスティックとして使われたパチモンが約4センチ、

ピコタンと、ピエロ型、タックルボーイ型のホンコン製パチモンが3センチと、

形状は違っても大きさは大体同じで3つのクラスに分けられる。

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しかし、ここでもう一度表を見直してみると、

タックルボーイ(タックルボーイ型、身長12cm)から、ブロックボーイ(ピエロ型、身長4cm)への変化が

あまりに急であることに気が付く。

「ボーイ」名を持ち、ジャボタンやポーズブロックマンと同じ7センチクラスのタックルボーイ型があるのではないか?

恐竜から始祖鳥の間をつなぐ、恐竜と鳥の中間的な特徴を持つ種類がいたのではないか?

..

やっぱり、あったのである!

名前は「ミニヤングボーイ」

身長は6センチ。ミニの字が小さいから、大きなサイズのヤングボーイがあった可能性もある。

パッケージは、ガチャガチャの台紙に見られるような、フィルムの熱圧着で封入されている。

下半身が半球状をしていること以外は、前述のトミーのタックルボーイと大変よくにている。

左右2つのパーツを真ん中で接着しているのも同じである。

..

これは、いわゆる「当てモン」といわれるクジの中の、アタリとして見つかった。

外箱と中身

箱に貼ってあるシールには「FUJITAYA TOYS」の文字があり、例の藤田屋商店の風車ロゴが描かれている。.

箱の側面にはフジタ印 登録番号 全玩規協大 No.501と書かれている。

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これは、10円でひくクジだったことが、中に入っている構成表からわかった。

これによると、10円でクジを引くわけだが、

アタリといえる商品は10本しかなく、残りの70本がいわゆるハズレになることがわかる。

上から2つ目の水中眼鏡にもなるのが、一等の「両用眼鏡」である。

これは、先に紹介した玩具商報には、万能サングラスという名前で価格は100〜120円となっている。

玩具商報(昭和44年8月15日号)より引用

レーサー眼鏡は、レーシングカーの玩具と一緒にセットで200円になっている。

玩具商報(昭和44年8月15日号)より引用

ピンキーブロックのケース入りが見つかったとき、このレーシングカーも眼鏡も100円であったと考えた。

この眼鏡も単体では100円であったと思われる。

まあ、10円で、100円の商品が当るんだから、ガキは引っ掛かっただろうねぇ。

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10個のあたり以外は、非常にチープなプラスチック玩具である。

電車の玩具は非常に弱い素材で出来ており、踏んだら確実にバラバラになりそうである。

最上段の特急には「こだま」の文字がある。ネットで調べたところ、

こだまは1958年(昭和33年)11月1日から1964年(昭和39年)9月30日まで東海道本線で運転された

国鉄初の電車による特急列車で151系特急形電車というそうである。

その下の電車はビスタカーとかかれている。右側の客車にも同様の文字がある。

ビスタカーを検索すると、近鉄の大阪線の特急列車で世界初の2階建て特急だったそうである。

10000系(ビスタカー1世)と10100系(ビスタカー2世)があるようだが、

先頭車の操縦席部分が高くなっていること、客車の二階建て部分が後ろに偏っていることから、

この駄玩具はビスタカー1世をモデルに作られたものと思われる。

この列車は1958(昭和33)年6月から1971(昭和46)年5月まで運用されたものだそうである。

この10000系は一編成しかない試作車両で、10100系の方が量産された一般的な形式であるようで、

このことからも、珍しい試作車としての10000系がモデルになった可能性が高いと思う。

この電車の玩具は、少なくとも昭和33年以降に作られた物と思われるが、

玩具商報のタックルボーイの記事が昭和43年であることから、ミニヤングボーイが同じ時期に作られたとすると、

かなり長期間、同じ型で作られた玩具を製造し続けていたことがわかる。

ミニヤングボーイの発見から15年。

令和の世になり、ミニヤングボーイが再度見つかった。

前回の完品と違い、ミニヤングボーイのみであった。

上部には大きめのホチキスが2ケ所あり、下には厚紙製の台紙の一部が付いていた。

台紙にはサルとウサギのイラストの一部分が描かれており、左側にはブルーの帯が印刷されている。

このブルーの帯は完品の台紙にも見られるもので、今回の入手品も当てモンの当りだった可能性が高い。

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入手にあたっては、T女史の手を煩わせた。毎度のことに感謝に堪えない。

早くパソコンを買えって?

はい、ごもっともでございます。

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今回、ミニヤングボーイの発見により、

「前へ習え」(タックルボーイ)型の「タックルボーイ」という名前と、

平面型人間ブロックの「ブロックボーイ」の間を結ぶ証拠を発見することができた。

これにより、外国に起源を持つ「人間の形のブロック」というコンセプトが、日本に流入し、

平面型のアイデアが合流し、様々な業者が作り育て、ピコタンが生まれたことがわかった。

ピコタンのジョイント部等の基本デザインは、非常に完成度が高く、

ピコタン以降も、さらに2パーツのものが生まれたりして、SF物やさまざまな合体食玩、合体駄玩具に影響を与え続けた。

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ピコタンは全ての起源ではなく、人間型ブロックの進化の一過程であったことが確認されたと言っていいと思われる。

だから、何?!って?

いや、どうでもいいことですよ。全然。

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