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事実は小説よりいきなり

徹底解明!ピコタンのできるまで part.3

前項で、ピコタンよりもずっと前に、原型になったと考えられる人間型ブロックの存在を

当時の業界紙という物的証拠を挙げながら紹介することができた。

それでは、このページではさらに「人間型ブロックの源流は何か?!」を遡っていきたい。

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ソフビ怪獣の研究者の秀次郎氏(http://mononofu.hp.infoseek.co.jp/)から、さらに追加の資料をお送リいただいた。

トミーから新発売された、「タックルボーイ」という玩具の宣伝である。

.玩具商報(昭和43年7月15日号)より引用

前述のブロックボーイが昭和44年1月1日号、ピンキーブロックが昭和44年8月15日号であるから、

このタックルボーイの発売開始はさらに一年以上前である。

形状は円筒形の胴体に、同じ直径の球形の頭がつき、胴体を抱えられるような腕部がでている。

脚部は胴体や頭部を挟めるようになっている。

形状は、ピコタンとピンキーブロックほどに.は似ていないが、

無彩色の1パーツもので、頭と足を組み合わせることができ、さまざまに組み上げることを目的としており、類似性が高い。

この記事からわかるのは、

1、昭和43年(1968)年7月中旬に発売された新製品である。

2、組み合わせて楽しむことを目的としている。

3、色彩感覚や造形感覚を育むことを目的とした教育玩具である。

4、子供が乱暴に扱っても大丈夫な、プラスチック製である。

5、色は、赤、青、黄、緑、白の5色で、5個セットである。

6、価格は350円である。

7、「タックルボーイは欧米で大変な人気です」とあり、海外に輸出していることを知らせている。

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ここで一連の人間型ブロックの名称に注目すると、

タックルボーイ

ブロックボーイ

ピンキーブロック

人形ブロック

人間ブロック

ポーズブロック

ロボくんブロック

タックルボーイとブロックボーイの間に、5センチ程度の大きさの

ミニヤングボーイ」という玩具が、藤田屋商店から発売されていた事がわかった。

・・・というように、ブロックボーイからピコタン型ブロックである人形ブロックやその進化系とも言えるポーズブロックまで

○○○ブロック

というようにブロックの前に商品の特徴などをワンフレーズ入れた名前になっている。

そのもとになったと思われるブロックボーイは語呂がタックルボーイと大変良く似ている。

2パーツのポーズブロックロボくんブロックと、大きさこそ違え同じ特徴を持つポコタンがあるが、

この名称のつながりでいうとピコタンに近い。

ポコタンにはメーカーを示すロゴマーク等が無いので、ポーズブロックロボくんブロック

マルコー産業との関連性はわからないが、この辺がピコタンの誕生のタイミングを解くヒントになる可能性がある。

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ネット検索をすると、某巨大掲示板に、トミーのタックルボーイのテレビCMがあったことを伺わせる書込みがあった。

秀次郎氏の情報によると、玩具商報にも、7月15日号以降にタックルボーイの販促に関する記事があるそうで、

かなり力を入れていた商品だった可能性がある。広告の画像も13個を組立たのが2つ写っている。

ただ、このようにして遊ぶためには、2セット、3セットを買わなければならない。

2セット分の700円といえば電動のギミック付きの玩具が買えるし、1000円を超えればかなり見栄えのするセットものが買える。

そう考えると、この高目の価格設定は、比較的裕福な層を対象としていたと考えざるを得ない。

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画像を見て気が付くのは、以前このサイトで紹介した、

ハズレ用ピコタンもどきに非常によく似ていることである。

後頭部に鎖などを通せるようにした環状の部分が追加されているが、基本的なバランスなどはほぼ同じと言ってよい。

このピコタンもどきは全長が3センチ弱で、純正ピコタンとほぼ等しい。

これは、以前に紹介したように、36〜75という数字の書かれた箱に入っており、

当てクジのハズレであった可能性が高い。

このピコタンもどきにもHONGKONGの刻印が見られる。

HONGKONGの刻印は、他にもピエロD型として紹介した、小型のピエロ型にも見られる。

今回の玩具商報のバックナンバーと、名前から見てピコタン型よりも古いと思われるこれらの種類に

同じようにHONGKONGの刻印のあることは大変興味深い。

香港といえば、アメリカのガチャガチャ用に、安価で粗悪な景品を大量に製造していた場所であり、

タックルボーイブロックボーイといった日本の玩具が、ガチャガチャ用としてコピーされた可能性を示唆すると考えられる。

あるいは、タックルボーイの宣伝に「欧米で人気」というコピーがあることから、

これらの人間型ブロック玩具は欧米に起源を持ち、日本のメーカーが紹介するのと別に、香港で独自にパチモンを作っていた可能性がある。

一方で、トミーは創立以来、何度も欧米にヒット商品を輸出することで成長した企業であるので、

ここでもタックルボーイが順調に海外に輸出されていると言う意味にとることもできる。

この辺の事情については今となっては調べようがない。

ガチャガチャ用も含めて、安価・粗悪な景品は日本でもドンドン作られ、

時代が下がるに連れて、あえてHONGKONGからの輸入に頼らなくても日本で自給できるようになっていったものと考えられる。

ということは、逆に考えれば、HONGKONG産のパチモンがあるということは

時代的に古いものであるという仮説を立てることも出来る。

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ここまでの段階で、タックルボーイの現物は見ることがなく、大きさはジャボタンサイズ(全長7センチ前後)を想像していた。

実は以前、ジャボタンサイズと想像される、タックルボーイ型の玩具が、なにかのオークションに出品されていたことがあった。

その時は形があまりにピコタンと違っているため、あえて入札しないで終わってしまった。

確かマウスが一緒に写っており、その大きさから想像するとジャボタンポーズブロックと同様な大きさに見えた。

.しかし、折よくパチパチ大王氏(http://www015.upp.so-net.ne.jp/bander/)より、

某クションにタックルボーイが出ていることを教えていただき、早速落札してみた。

届いてみて驚いた!デカいのである!!

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裏面の写真の子供との対比を見てもわかるようにかなり大きく、全長は12センチにもなる。

箱の表には「自由な組合せが楽しめます」の文字がある。

箱の裏面にはさらに多くの情報が書かれている。

箱の裏面に書かれている文字

1、LICENCED BY ROYALTY PROJECTS LIMITED. ENGLAND

2、ゆかいなかたちがたくさんできる、ふしぎな小人たちです。

3、トミータックルボーイ

4、自由におもしろくいろいろな組合せをお楽しみ下さい。

5、PATENT APPLICATION NO.5774/67 PENDING APPLICATION.

6、丸C 1968 TOMY COMPANY,INK

7、株式会社トミー 東京都千代田区内神田2-11-6 共同ビル TEL.(252)代表5101・6101

8、NO.350

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左からタックルボーイ、ピコタンもどき、純正後期

中心で左右のパーツを接合している

プロポーションはピコタンもどきと酷似している。

材質は硬質のプラスチックで、左右を接着した中空で軽くなっている。手足部は肋材があり、補強するとともに、合体させやすくなっている。

右足部にはトミーのロゴマークが入っている。

箱のサイドには一個70円もするタックルボーイを15個も使って楽しそうに遊ぶガキの写真がある。

「楽しそうだなぁ。全部でいくらすると思ってるんだ?うらめやましいガキだ・・・。」

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箱の裏面に書かれた文字の中で、意匠権に関係があると思われる「NO.5774/67」を特許電子図書館で検索したところ、

タックルボーイの意匠権登録を発見することができた。

.......................特許電子図書館より引用

なんと、タックルボーイは

フランスのデザイナー(?)によって考案され、元の意匠権はイギリスにあることがわかった!

つまり、

人間型ブロックの源流は海外にあり、トミーが販売代理店的なかかわり方で売っていたことがわかった。

また、このイギリスでの意匠権は昭和41年(1966)には既に成立されており、

明治製菓のピコタンの発売が1975年以降であるとすると、それまでに約10年弱の時の流れが介在したことになる。

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以上のことを年表にまとめてみた。

ピコタン年表

昭和41年(1966) 英国でタックルボーイ形人間型ブロックの意匠権登録が成立

昭和43年(1968)
トミーからタックルボーイが発売になる

昭和44年(1969)
藤田屋商店からブロックボーイが発売になる

昭和44年(1969)
藤田屋商店からピンキーブロックが発売になる
44年〜50年の間 ピンキーブロックからピコタン型の人間型ブロックが生まれた可能性が高い

昭和50年(1975)
この年の前後に明治製菓のピコタンが発売される(これ以降駄菓子屋売りのパチモンが出る)

昭和50年(1975)
マルコー産業のポーズブロック形人間型ブロックの意匠権が申請される

昭和52年(1977)
マルコー産業のポーズブロック形人間型ブロックの意匠権が登録される

昭和52年(1977)
マルコー産業のピコタンパチモン人間ブロックが発売になる

玩具産業は終戦直後の安かろう悪かろうの印象を脱却し、有力な外貨獲得手段になるほど発達した。

その中でトミーは国内のみならず海外の玩具のデザインなどを積極的に採用し、輸出も視野に入れた強力な商品開発を行っていたと考えられる。その中で作られたのがタックルボーイであり、平面形人間型ブロックの「ブロックボーイ」や「ピンキーブロック」が生まれてきた。現在把握されているメーカーとしては、藤田屋商店やマルコー産業があるが、駄菓子屋用にそのほかにも多くのメーカーが作ったようである。

平面形人間型ブロックは長期間作り続けられた。景品の提案がビジネスになるようになったとき、エースプレミアムという業者がこの平面形人間型ブロックを明治製菓に提案した。ウエハース菓子の景品として明治製菓からピコタンとして売りだされた人間型ブロックは流行し、同じ形の偽物も多く作られた。

また、2パーツ化したり、さらにそのパチモンが作られたりと作り続けられること10年弱に及んだ。

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サイト開設以来、沢山の関連品を落札し、また、多くの情報をいただくことにより、

あれほど親しんできたピコタンが、実は大変息の長い外国生まれの玩具だったということがわかった。

関連品や文献資料の地道な収集と、その分析が、全く予想できなかったような発見をもたらせてくれたことに、

驚きと大きな喜びを感じる。

情報提供してくださった、ぜんまい太郎氏、秀次郎氏、パチパチ大王氏にあらためて感謝して、

この大発見の報告を擱筆したいと思う。

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