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そうか!やっぱりそうだったのか!

ピンキーブロックのバリエーション part.3

今から思えば何がそんなに受けたのか、明治製菓から発売されたオマケ付き菓子「ピコタン」は

1970年代中ごろには存在していた記憶がある。

いつも情報を提供して下さるぜんまい太郎氏から、ピコタンの誕生にかかわる資料の提供を受けた。

「ちびっこ広告図案帳70's」(おおこしたかのぶ編 オークラ出版オークラ出版 2003年)には、

当時ヒットしたプレミアムを多く手掛けた、エースプレミアム代表 太田俊策氏のインタビュー記事がある。

輸入雑貨を手掛ける店で働いていた時に、商品にオマケを付けて付加価値をつける、

プレミアムというものの存在を知り、興味をもったという。

「ネタ」は海外で仕入れ有名な菓子メーカーに提案したという。

不二家のヒット商品「レーシングカーチョコレート」も、ホンコンにあった出来のいい車の玩具を

氏がオマケとして提案したものだったそうである。

その記事には75年以降の仕事としてピコタンが紹介されている。

このことからも、ピコタンが発売されたのは1975年前後であると考えられる。

明治製菓の社史「明治製菓の歩み 買う気で作って60年」(昭和52年)によると、発売は1974年であった。

「明治製菓の歩み 買う気で作って60年」より引用

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数年前、先輩から奇妙な形の人間型ブロックを貰った。

左端は純正後期、それ以外はピエロA型

身長はほぼ1.5倍と大型で、胴体が膨らんで3つの穴があいた特徴的な形状を持っている。

ピエロの顔が書かれており、これをもってピエロA型と命名した。

当初は、これを明治製菓のピコタンから派生したパチモンであると考えた。

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しばらくして、このピエロ型に大きいサイズの新種が見つかった。

メーカーは不詳だが、セイフティートイと書かれた汎用のタグがついている。

このタイプは、顔が簡略化されて胴体の穴が省略されているが、全体の形態はピエロA型ににている。

これをピエロ大型(のちにC型と命名)と命名した。

左から純正後期、ピエロA型、ピエロB型、ピエロC型

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この大きなピエロ型の顔に非常に近い絵柄を持った、ピエロ型が発見された。

大きさはピエロA型と同じだが、絵柄は簡略化され、笑った顔、怒った顔等のバリエーションが見られた。

一緒に発見された台紙によって、これがピンキーブロックという商品名であることが判明した。

ピンキーブロックの台紙

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怪獣ソフビの研究家、秀次郎氏から、衝撃的な情報をいただいた。

このピエロ型の広告が業界紙に掲載されていたという。
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玩具商報(昭和44年1月1日号)より引用 玩具商報(昭和44年8月15日号)より引用

「玩具商報」昭和44年1月1日号には「ブロックボーイ」、

同誌の昭和44年8月15日号には「ピンキーブロック」という名前で、このピエロ型が紹介されている。

注目すべきはこの広告の掲載時期である。昭和44年といえば1969年。

「ちびっこ広告図案帳70's」によってピコタンの発売時期を1975年前後と判明したが、

そうすると、このピエロ型はピコタンの発売よりも6年も前に存在していたことになる。

メーカー名は藤田屋商店。大阪市住吉区今川町462-6とある。検索で店名と住所で検索したがヒットしなかった。

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ブロックボーイ」が44年1月、「ピンキーブロック」はそれから半年ちょっと経って発売されている。

このことは、ぴんきーブロックがブロックボーイのなんらかのマイナーチェンジ版であることが考えられる。

それぞれの記事からは、色が5色から6色に増え、ケースが紙製からプラケースになったことがうかがわれる。

ピンキーブロック」は、一緒に見つかった台紙から、ピエロB型であることはほぼ間違いないと考えられる。

.それでは、「ブロックボーイ」とはなんなのか?!

ほぼ同じ形状のピエロA型は、日本人の感覚からすればかなりエグい写実的なピエロの顔をしている。

そこで、「ブロックボーイ」という、エグいピエロ顔がもとにあって、「ママ、この顔怖い!」ってクレームがきたことにより、

顔をマイルドにしたB型を改良型として、「ピンキーブロック」が作られたのではないかと考えた。

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ちょうどエグいピエロ顔のピエロA型が、藤田屋商店の他の玩具の箱の一部を台紙に流用したものが見つかった。

これによって、ピエロA型も、ピンキーブロックであるピエロB型と同じメーカーが作っていたことが判明した。

藤田屋商店のロゴのある台紙とピエロA型

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で、大変長くなりましたが、ここからが本題です。

ネットはいいねぇ、文字数制限がないから。これが書籍なんかの記事だったら、ここまで詳しく振り返れないよ、実際。

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台紙付き玩具のデッドストックのセットのなかに、米粒のように写ったピエロ型を発見した。

早速、取り寄せてみると、それは・・・!

なんと、プラケース入りのピンキーブロックであった。

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広告をほぼ同縮尺に拡大すると、斜めにかけられた襷状の紙といい、ケースとの対比といい、同じものであると思われる。

これで、中に入っているのが、簡略版の顔をもつB型であれば、

先のA型が「ブロックボーイ」、B型が「ピンキーブロック」という仮説が一層確からしくなるのであるが・・・。

中に入っていたのは、5色計22個のピエロA型と2個の白い台座であった。

玩具商報の写真はバラで入っていたが、今回のケース入りは4個×3、5個×2が色ごとに繋げられていた。

以前先輩からもらったピエロA型には白いものがあるので、上掲5色と併せて6色あるが、ケースに入っていたのは5色である。

玩具商報の広告には、「ブロックボーイ」は5色、「ピンキーブロック」は6色とされている。

この色数が台紙をあわせたものか、そうでないかはわからないが、このセット内容から

やはり「ブロックボーイ」はピエロA型で、5色しかないのが「ピンキーブロック」の名で流用されたと考えることもできる。

しかし、商品名にもあると通り、このピエロA型も「ピンキーブロック」として売られたという解釈もできる。

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今回発見された台紙付き玩具セットがどのように保管されていたかはわからないが、ピンクと緑に変色が見られた。

どちらが製造された当初の色に近いかは判然としないが、以前見つかった袋入りの緑は左側の黄緑っぽい色に近く、

ピンクも左側のほうが鮮やかであることから上(写真では右側)の方が陽光等の影響で変色したものと思われる。

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ケースの底には組立説明図が入れられていたが、これも、前掲の広告にあったものとそっくりである。

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これらの組方のうち、U字型ピンキーと、ピンキーやじろべえ、ピンキー円の3つは、前掲のピエロB型と一緒に見つかった台紙にも見られる。

確かなことは、ピエロA型もピエロB型も「ピンキーブロック」として藤田屋商店から売られていたということがわかった。

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この組立説明図には、厚みを持たせるため厚紙を包んでいたが、その厚紙は前田の「たまごクッキー」のパッケージであった。

このパッケージは、これらの駄玩具が貼られていた台紙としても使われていた。

台紙の全体像

この台紙からわかることは、たまごクッキーのパッケージは、左下の赤いところと青いところをもって構成されることが考えられる。

一枚分と思われる部分を抽出し、白いところを削除し、黒線の部分を山折り、赤線の部分を谷折りすると

底の部分は、青い「前田の」の部分に、赤い「たまごクッキー」の部分が重なるようになる。

上部は赤い「前田のたまごクッキー」の部分が蓋になる。その蓋の左右を苦情送り先や住所を記した部分が支えるようになっている。

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箱状の横の部分に糊代は無いので構造的な強度はあまり期待出来ないが、紙が厚いこともあり、

クッキーを何枚かビニール袋に入れた上でこのパッケージで包んだものと思われる。

(あ、これは余談だから、試験にはでないけどね)

前田製菓も藤田屋商店も住所は大阪で、駄玩具の製造業者と製菓業者が同じ印刷業者と取引しており、

余ったものか印刷ミスのヤレか、どちらにしても廃棄するべきパッケージの半製品を、

別の業者のために流用したことがわかる。

以前紹介したピエロA型の2個入り袋詰めのものは、藤田屋商店のトラックのおもちゃのパッケージと思われる厚紙が

台紙に使われており、このような厚紙の再利用は恒常的に行われていたこととみられる。

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次に台紙に一緒についていた、他の駄玩具に注目してみることとする。

ピンキーブロックの下にはプラスチック製の車のおもちゃと、その右下にはゴーグルのような眼鏡のおもちゃがある。

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これは、先にあげた玩具商報の44年8月号のピンキーブロックと一緒に載っていた

「素敵なレーサーセット」と似ている。

眼鏡のレンズの大きさが多少違う気がするが、車とゴーグルが200円、ピンキーブロックが100円ということは、

車もゴーグルも100円だったと考えられ、この台紙にセットされたものは昭和44年の頃の商品ラインナップであると思われる。

(どうでもいいけど拡大して気が付いたんだが、レーサーセットのゴーグル。

撮影してるカメラマンが写り込んでるじゃん。反射物の撮影時にはもっと注意しなきゃ・・・)

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この台紙にセットされたのは100円売りの商品であると考えたが、その推測がいきなり揺らぐのが、最下段の箱である。

右側は上部蓋のメーカーロゴ

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キャプテンスカーレットのエンゼル機のような戦闘機が怪獣を攻撃している。

側面には同じくキャプテンスカーレットのスペクトラム基地と思われる空中空母が描かれている。

下側にはサンダーバードの2号機が描かれている。

この箱の中には、このようなキャラもののメカのプラモデルが入っていると思われると思うが・・・。

中に入っていたのは、

なんと・・・。怪獣の方だったのである!

それもまた、何と、まあ・・・。

しっぽ細いし、足は地に着いてないし。手は・・・。指先は作るのが面倒でしたと言わんばかりの造形。

これ、100円か?!

で、もう一つの箱も開けてみたところ、入っていたのは、

なんと・・・。バルタン星人?!

な、なんで?!もう箱と関係ないじゃん!!

商品に番号が書いてあれば、上の方がアタリの当てモンかとも思うが、他のものの値段がどれも100円と考えられるので、

箱に惹かれてこれをセレクトした当時のガキは、2日は落ち込めたに違いない。

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で、このバルタンを見ていて思い出したのが、以前やはりオークションで落札した射的セットである。

吸盤付きの弾2発と拳銃、硬質プラで中空の怪獣2個と、よく見掛ける恐竜が2個、透明なブリスターに封入されている。

台紙の怪獣は、もはやなにを元に描いたのかわからないいい加減さである。

バルタン星人の左腕に隠れた茶色っぽい怪獣がレッドキングっぽい。が、飽く迄「っぽい」だけである。

左下の緑色の怪獣の下には、お馴染みの藤田屋商店のロゴが見える。

右下にはSTマークが入っている。

で、バルタン星人をよくみてみると・・・、

左が箱入りのバルタン、右が射的セットのバルタン風

型違いじゃん!

箱入りの青いバルタンのほうがバルタンらしく、射的セットのバルタン風は半袖シャツを着たような上半身と

腰回りのスカートの様な造形は似ているが、挟みは手に変っているし額の角の形も変えられている。

足の奥に見えるしっぽも尖っていず、非常に緩いものになっている。

しかし、膝の部分の凹部や、手首のリング、胴体の太さなどは両者とも非常に似ていて、

どちらかを元に、修正によって作られたものであると思われる。

この時、一緒に見つかったのがトランシーバーセットとヘッドホンである。

どちらもキャラクターに似せることなく、ごっこ遊びに便利なグッズで、

この時期の藤田屋は「実用的な」玩具を作っていたことがわかる。

ロゴマークの入った駄玩具

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結局、ピエロB型だけでなくピエロA型もピンキーブロックの名で売られていたのがわかり、

A型=ブロックボーイ

B型=ピンキーブロック

という仮説は揺らいだ。

この台紙にセットされたのが100円玩具のアソートということで、在庫処分的な販売形態であると考えれば、

残っていたブロックボーイ(A型)をピンキーブロックのケースに入れて流用したとも考えられるが、

これは、ブロックボーイと商品名が明確にわかるデッドストックでも出てこなければ解明することができない謎である。

今後も継続して調査したい。

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・・・と、いうことで、いつもは終わるのであるが、

このピエロA型を譲ってくれた先輩からある資料を紹介され、送ってもらうことができた。

それを見ていてあることに気が付き、検索ワードを工夫して再度ググってみたところ、

それらしい業者を発見した。

で、この辺が良く言えば熱心な、悪く言えば無鉄砲なところだが、早速電話で聞いてみた。

最初でた女性は良くわからなかったようだが、次に出ていただいた男性は当時を良く覚えていらっしゃった。

その方のお話によると・・・。

当時はヨーロッパの玩具見本市などに取材に行くことがあったそうで、このブロックもドイツで入手した見本をもとに作ったそうである。

しかし、東京の他の業者が、日本での特許(意匠権)申請を行い特許をとってしまったそうな。この業者はピエロ型の販売に関して特許侵害を主張し、電話に出て下さった方が担当者として、何度も東京と往復し交渉をしたということであった。

結果、東京の業者を本家、藤田屋商店が分家的な立場になることに決まり、東京の業者に特許(意匠権)使用料を払うことで解決したという。この業者は実際には商品を製造することは無かったようだったそうである。

そのうち、この東京の業者が破産したらしく夜逃げして、先方の弁護士から特許権者がいなくなったので、ロイヤリティを払わなくて良くなったと連絡を受けたとのことである。

その後、しばらくして明治製菓から、人間型ブロックを使いたいという問い合わせが藤田屋商店にきたそうである。しかし、東京の業者が既に無く、ロイヤリティを支払う先が無いのではないかと答えたそうである。

それから明治製菓からこのブロックをプレミアムにしたお菓子が出たようだったが、明治製菓から再度の連絡は無かったそうである。

と、まあ、一番根本のところがあっけなく解明されてしまったわけである。

もとのデザインが外国にあったということは、トミーのタックルボーイにも見られたことであるが、

そこで思い出されるのは、このピエロ型にはMade in hongkongと書かれた、小型のピエロD型の存在である。

左からA型、B型、C型、D型

このピエロ型がピコタンのパチモノでないことがわかったが、この小さいサイズのものを、

日本製のピエロ型を、ホンコンの業者が真似したものを日本に逆輸入したものだと考えていた。

もちろんその可能性はあるが、ここでもう一つ、ヨーロッパの玩具をホンコンの業者が独自に真似て作った可能性が出てきた。

さすがにこの解答を出すことは、ホンコンの業者を探し当てでもしないとわからない。

一つ謎が解けると、それがまた新しい謎を生む。奥が深い世界である。

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先の取材の中で、「ブロックボーイ」と「ピンキーブロック」の違いについても聞いてみた。

ピンキーブロックの名前はすぐに思い出されたようだが、ブロックボーイの名前は思い出せなかったようである。

先の経緯を聞くとブロックボーイとして発売したところが、別の業者からクレームがつき、

交渉の結果「ピンキーブロック」と名前を変えて再販売したのではないかと推量される。

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「ブロックボーイ」という名前だったかは忘れたが、一回り大きな手のひらサイズのものもあったと言われた。

大きいものといえばピエロB型と似た顔のピエロC型がある。

これはタグ付き袋入りで発見されたが、タグには藤田屋商店のロゴが入っていない。

藤田屋商店が作ったものが流通上の何らかの理由でタグに名前を入れなかったか、

藤田屋商店の大型のピエロC型をもとに別の業者が真似たモノである可能性も考えられる。

「ピンキーブロック」の販売形態に、バリエーションが確認された。

ビニールケース入りのセットが見つかったのである。

中身はB型6色で合計38個、台座2個の計40個であった。

プラケースにも入っていた説明書が、商品名の所を見せる様にして折り畳んで入れられていた。

しかし、今までのものと違って、左上にSTマークが付いている。

STマークはB1380121であることから、大阪で申請された、138というコードを持つ企業が、

昭和50年に販売したものと云うことが読み取れる。

藤田屋商店のロゴが付いていることから、138は同社を表すとも考えられる。

藤田屋商店が、ピエロ型のブロックを発売したのは、昭和44年であることが、「玩具商報」の広告からわかっている。

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玩具商報(昭和44年1月1日号)より引用 玩具商報(昭和44年8月15日号)より引用

明治製菓の「ピコタン」の発売は、昭和49年(1974年)なので、ピコタンの発売後にもピエロ型が販売され続けていたことがわかった。

このため、当時はピコタンのパチモンの一種と考えられたり、

ピコタンのパチモンのパッケージに、胴体が太いピエロ型のデザインが使われたりしたものと思われる。

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昭和44年というと、ざっと37年前。

当時そういった交渉事をしたというとは・・・。

あの人はいくつ(何歳)だったんだろう。

この辺のことをもう少しまとめて、できれば実物をもって、大阪にお話しを聞きに行きたいと思う。

自分が子供のころの強烈な印象でピコタンを覚えてるからといって、

当時仕事としてこれらの人間型ブロックと付きあってた人々が30年以上前のことを覚えていて、

すぐに話してくれたことに驚き、かつ、感謝した。

遊んだほうもそうだが、作ったほうにも思い入れがあったんだなぁ・・・、と。

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文献資料にものこらないし、プロジェ○ト×にも取り上げられることもないが、

どのような形であれ30年以上も記憶に残るものをつくることに携わられたことを羨しく思う。

最後にお名前をお伺いしなかったが、突然の電話に快くお答えいただいた藤田屋商店の方に感謝を記して擱筆したい。

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