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事実は小説よりいきなり

徹底解明!ピコタンのできるまで part.1

明治製菓のピコタンが出たのは、正確には覚えていないが1974年頃ではないかと思う。

近所に住んでいた一人っ子の山本君は沢山のピコタンを持っていた。

彼が、「柿の種」だったか、「生八橋」だったかの缶に入れた200個になんなんとする、純正・パチごちゃまぜの一大コレクションを、

「これからはロボコンの超合金を集めるから、これ、やるよ」と惜しげもなくくれたのは、

1974年の「がんばれ!ロボコン」の放映後であったのは確かに覚えている。

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親戚のおばちゃんに買ってもらった、一個60円の純正ピコタンには、イチゴ味のチョコウエハースが2個と、

紙製のケースに入ったピコタンが2個入っていた。

参考図版:たこちゅうのパッケージ構成

このことから、幾種類もあるピコタンの純正とパチモンを区別することが出来た。

当時、駄菓子屋でタグ付き袋入りで50円の顔無しのパチモンを買った記憶がある。

また、純正に似せた顔を持つピコタンも見られ、純正をもとに多くのパチモンが作られたと理解していた。

(ピコタンのパチモンについては「ピコタン大図鑑」を参照されたい。)

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このサイトのトピックスには、サイト開設後に発見された、各種のパチモンなどを紹介しているが、

当時は、純正と、それとどうサイズの各種のパチモン、

大型のサイズのパチモン腰にボールジョイントのある2パーツのパチモンしか知らなかった。

大型パチモンの名前が「ジャボタン」であり、2パーツパチモンが「ポーズブロック」とか「ロボくんブロック」などと

呼ばれていたことも全く知らず、大型とか、2パーツなどと呼んでいた。

数年前、2歳くらい年上の先輩から、変わった形のピコタンっぽいプラ玩具をもらった。

子供の頃手に入れたもので、詳しいことは覚えていないということだったので、顔の模様から「ピエロ型」と命名した。

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以上の知識から、ピコタンは以下の図のように、純正を基本に、「ピコタン型」、「2パーツ(ポコタン)型」、「ピエロ型」の

3種に別れ、さらにサイズ違いなどが出てきたものと考えていた。

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ぶっちゃけた話、ココまでが前置きである。((((^^;)

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上記の「純正ピコタンを中心に、放射状に3種類のパチモンが発生した」という説が、実は違っていて、

純正ピコタンは、人形型ブロックの進化の過程に過ぎないことがわかってきた

・・・のである。

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ことの起こりは、2パーツものの「ポーズブロック」にPAT.P、「ロボくんブロック」にPAT.4710971と印刷されており、

特許庁の特許電子図書館で調べたところ、この意匠登録は、ピコタンの組立のかなり基本的な要件までを含んでいることがわかった。

...........................特許電子図書館より引用

このマルコー産業は明治合体チョコボールの形状を正確に模したパチモンを作っていることから、

腰のジョイントの意匠を登録したときに、基本的な組立の仕組みを混ぜて申請したのではないかと考えた。

出願が昭和50年(1975)であることから、純正ピコタンの発売されていた時期の後に出願された可能性がある。

このことは、ピコタンに腰のジョイントという新しいアイデアを付け加え、

それまでのピコタンのデザイン自体も含めて登録してしまったということが想像される。

しかし、最終的に意匠権が成立していることから、

ピコタンの基本的な組立のデザインはマルコー産業が持っていたと考えることもできる。

もしそうであれば、雨後の筍の様にいろいろなピコタンのパチモンが出ることによって、

マルコー産業が自社の意匠権が間接的に侵害されることへの防御として登録したとも考えられる。

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マルコー産業は、「メリーゴーランド」という、ピコタンを歯車に挿して回す玩具も作っている。

これに入っていたパチモンピコタンは「パチモン顔ありC型」と分類したものの内、

「スマイル」、「二重目スマイル」、「怒り顔」、「泣き顔」の4種類であった。

このC型には他にも、「帽子」、「真ん中分け」、「七三分け」、「おかっぱ」の4種類の顔があるが、

これは、純正の顔のデザインを簡略化したと見えないこともない。

この4種類は、「人間ブロック」という名でプラケースに入って売られていたことがわかっている。

人間ブロック」には、STマークが入っており、これにはP5270005と書かれている。

このP52は昭和52年(1977)を表すものと思われる。(←このことは下記の囲み記事を参照)

<注記>

STマークの研究の結果、アルファベットは団体の略称、次の3桁がメーカーコード、その次の1桁が昭和の年号の下一桁になることがわかった。

そのため、昭和50年というのは、ピコタンの発売の翌年であり、ピコタンの流行に迅速に反応し、腰のジョイントを意匠権登録する際に、純正本体のデザインも一緒に記載したということになる。

以上のようにみてくると、以下のシナリオを想定することができる。
ピコタン型の玩具に、腰のジョイントというアイデアを足して、昭和50年に意匠登録したマルコー産業は、それ以前にスマイルなどの簡単なデザインの顔のパチモンC型を作っていた。昭和52年頃には、人間ブロックという名前で、純正のデザインに近いパチモンピコタンを作っていた。

明治製菓のピコタンが、このマルコー産業の1パーツ人間型ブロックを元にして作られた確証は無いが、

明治製菓の純正ピコタンのヒットに影響され、顔をそれに似せたデザインに変更した可能性は指摘できる。

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このような可能性を掲示板で表明したところ、

明治製菓のピコタンには元になる駄玩具があったことを想像させる文献があることを教えていただいた。

提供者は、いつものぜんまい太郎氏(http://homepage2.nifty.com/zenmaitarow/)で、

「ちびっこ広告図案帳70's」(おおこしたかのぶ編 オークラ出版オークラ出版 2003年)に、

明治チョコレートのプレミアム、「おれ、ゴリラ。」の開発者である、エースプレミアム代表 太田俊策氏のインタビュー記事がある。

太田俊策氏は1972年に会社を立ち上げ、お菓子などのプレミアム(景品)を提案し多くのヒットを生んだという。

香港の景品会社や、国内の輸出専門の景品会社の商品やアイデアを、明治製菓や不二家などのメーカーに提案してきたという。

.--------.--------------「ちびっこ広告図案帳70's」より引用

この記事の中に上掲のような写真が載っていた。これによるとピコタンは75年以降の仕事となっている。

ピコタンも、エースプレミアムの提案した景品であることがわかった。

ネットで、「がんばれ!ロボコン」の放映時期を調べたところ1974年10月からということだが、

超合金シリーズの発売時期については記録が探しきれなかったのではっきりしない。

当時の記憶とあわせてみると、明治製菓のピコタンは、遅くとも75年にはあったものと考えられる。

この写真に写っているのは純正前期と後期のものと思われるが、一番下のピコタンは脇の部分の突起が小さく見える。

これは、パチモン顔ありF型と分類したものに似ている。

この パチモン顔ありF型は、表面のストライプが純正と同じ左上から右下に描かれている。

写真のピコタンが純正品を写したのではなく、試作品、あるいは元になったものを撮影した可能性が指摘できる。

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インタビュー記事の話の流れから、海外や輸出専門メーカーなどの商品をアレンジして、メーカーのキャンペーン企画に

プレミアムを提案してきたということなので、ピコタンも同様になにかもとになる玩具があった可能性が高まった。

元になったのがマルコー産業の一連のピコタン型ブロックであるかどうかは今のところ不明である。

この辺については今後も調査していきたいと思う。

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どちらにしても、明治製菓のピコタンから多くのパチモンが生まれたことは確かだが、

その明治製菓のピコタンが全ての始まりであったという、当サイトのピコタン史観は間違っていたといわざるを得ない。

某巨大掲示板の過去ログだったか、「明治製菓がピコタンはパチモンをもとに作った」という記述を見掛けたことがある。

再度探して見たが現在では見つからない。

ただ、今回の記事からしても、明治製菓のピコタンは、人間型ブロックの進化の中で、メジャーメーカーに採用されたということで、

進化の原点ではなく、進化のひとつの到達点を示すものであったことがわかった。

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次回は、「ピコタン型ブロックはどこからきたのか」ピコタンの原点を、

資料を元に遡ってみたいと思う。(長くなるのでページを分けることにする)

徹底解明!ピコタンのできるまで part.2

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