.

おみやげに最適なノベルティセット

ピエロ型の薬局販促品への転用

オマケと言われるノベルティ駄玩具は、お菓子の他に薬屋でも多く配られた。

ゾウを模した佐藤製薬のサトちゃんや、コルゲンコーワのケロちゃん等のキャラクターを

デザインした小物やマスコットが多く作られた。

写真の指人形は当事のもので、コルゲンコーワのホームページによると、

このタイプの出現は昭和33年(1958年)という。

何時頃、どのような経緯で手にいれたのか記憶は無いが、ピコタンやたこちゅうの出現で第二線に退いたとはいえ、

宝物箱の常連として手許に残ったものである。

.

人間型のブロックといえば、ピコタンが思い出されるが、

明治製菓の明治製菓の社史によると、発売されたのは、昭和49年(1974年)9月1日。

発売と同時に菓子屋では品切れで入手困難の状態が続いた。

「明治製菓の歩み 買う気で作って60年」より引用

.

明治製菓の社史によると、「ピコタン」が発売されたのは、昭和49年(1974年)9月1日。

菓子屋の店頭で品薄になったり、パチモンが大量に出回ったり、大流行した。

お菓子のオマケに「集めて繋いで遊ぶ」というコンセプトを持つのは「ピコタン」最初のようである。

当時のノベルティを多く手掛けた浅山守一氏の

「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」(昭和58(1983)年、: 自由現代社)という書物に

以下のように書かれていたのが発見された。

.

しかし、繋げて遊べるこのような人間型のブロックは、玩具としてはピコタン以前にも作られていたことがわかった。

.

大学時代の先輩から、ピコタンよりも少し大型の胴体の太い人間型ブロックをもらった。

左からA型、B型

もらった当初は、「これも数あるパチモンピコタンの一種だろう」と考えていた。

丸い鼻、隈取りされた目に、厚い唇。首周りにはフリルのような模様が見られた。

半身は縦縞で、もう片方は水玉と、ピエロをデザインしたものということで、「ピエロ型」と命名した。

唇を二重に書いたしっかりしたデザインで、このタイプをA型とした。

.

このピエロ型を某クションで見つけて入手してみた。

届いてびっくり。シルエットこそピエロ型と似ていたが、大きさが一回り以上大きかったのである。

(左から)ピエロ大型、ピエロ型、純製

胴体に穴は省略されており、手足にはヒモを通すのか、穴が空いている。

デザインは簡略化されているが、ピエロ型の影響が強く見られた。タグにはメーカー名は無かった。

立てて遊ぶときに安定させるための台座が入っていた。

.

下北沢を歩いていて、ピエロ型の人間ブロックを台紙と一緒に入手した。

顔のデザインは先に入手した大型のものに似て、唇の2重線の表現は略され、首のフリルもなく、簡略化されていた。

大型のものと同様に、立たせるための台が付いていた。

台紙に書かれた商品名は「ピンキーブロック」で、マルに十字の周りの上下左右にカギが描かれたロゴが見られた。

顔の種類はにっこり、眉付きにっこり、眉付き口開き、怒り顔の4種類が確認された。

.

このピエロ型の正体が判明した。

知り合いからの情報で、このピエロ型が玩具業界誌に出ていることがわかった。

「玩具商報」昭和44年1月1日号には「ブロックボーイ」、

同誌の昭和44年8月15日号には「ピンキーブロック」という新製品紹介が出ている。

.
玩具商報(昭和44年1月1日号)より引用 玩具商報(昭和44年8月15日号)より引用

この広告から、大阪の藤田屋商店から販売されていたことがわかった。

ピエロ型のデザインを一年以内に「ブロックボーイ」と「ピンキーブロック」という名称で発売したことがわかる。

ピエロ型のデザインが外国にあったものであり、ピコタンよりも前に藤田屋商店によって日本で販売されていたことがわかった。

ピエロ型についての詳細は、

徹底解明!ピコタンのできるまでpart.2」を参照されたい。

.

後に、老舗玩具店のネット販売で「ブロックボーイ」を入手した。

下は中身

ブロックボーイ」に入っていたのはA型のほうであった。

入手した物は「玩具商報」誌面の写真より大きい箱のようであるが、いくつかのバリエーションがあったと考えられる。

.

ピンキーブロック」という商品名で発売されたものも入手したが、こちらもA型であった。

.

昭和44年8月の「玩具商報」誌面の写真と並べると同じ物であると思われる。

.

同じ「ピンキーブロック」という商品名で別のケース入りも見つかった。

タグ付き袋に入った、プラケース入りである。フタはプラスチックだが、箱は紙製である。

箱の中には藤田屋商店のロゴマークとピンキーブロックと言う商品名がかかれた帯が入っている。

中身は、A型で、色は、青・白・黄色・赤・ピンクの5色。青16、白21、黄色8、赤12、ピンク8の計65個と、台座が2個であった

このタグには「TOY おみやげ」の文字と、クラウンと言うメーカー名らしい名前が入っている。

ケースの中の帯からも、この商品は藤田屋商店の製造と思われるが、

それを「クラウン」という会社が仕入れて、タグを付けて観光地のお土産屋や玩具店に卸したものと思われる。

.

ピエロ型A型は、他にも、厚紙に2個ずつ袋詰めされた販売形態も見られた。

台紙に使われた厚紙は、別の商品(コンテナカー)のパッケージの一部であった。

他にもプラスチックの手裏剣や鉄砲等の駄玩具も一緒にみつかっている。

在庫処分か、籤のはずれ等として作られたものではないかと考えられる。

.

同じ「ピンキーブロック」の名前でも、先に紹介した下北沢で見つけた小台紙と販売されていたものは、簡略化されたB型が入っていた。

小台紙に書かれた組み立て方は、上掲のケースの中に入っていた説明書の抜粋になっている。

.

緑、黄色、赤の3色のB型が4個ずつと白い台座がセットになった、小台紙袋入りのデッドストックが見つかった。

台座は上掲のものと同じで「ピンキーブロック」の商品名と藤田屋商店のロゴが見られた。

小台紙は2ケ所の折り込みがあり、ビニール袋の上辺を台紙の折り目で挟むようになっている。

このような台紙の形態は、パチモンタコチュウJ3・O型が入った 「たこちゅう」や、

パチモンピコタン顔なしEが入った「ブロックマン」でも見られる。

.

ピエロ型のB型が入った「ピンキーブロック」にはビニールケース入りも確認された。

中身はB型6色で合計38個、台座2個の計40個であった。

ケース内には折り畳まれたあそび方を書いた紙が入っていたが、

その内容は昭和44年の「玩具商報」誌面と同じであるが、左上方にSTマークが入っている点が違っている。

STマークはB1380121であった。

STマークは、アルファベットは団体名、次の3桁がメーカーコード、次の1桁が昭和の年号の下一桁を表すことがわかった。

最後の3桁は、その年度に承認された順番を表すという。

Bは、大阪玩具事業協同組合、 (社)日本玩具協会大阪支部を表すことがネット情報で知ることが出来た。

138のメーカーコードがどの会社を表すのかはわからない。

4桁目の「0」は昭和50年を表すことになる。

.

この「B138」が藤田屋商店を表すことは、他の駄玩具のSTマークとロゴからもわかる。

例えば、

ミサイル銃とプラスチック製UFO、明治合体チョコボールの、マルコー産業製パチモンにある大型の宇宙船の

パチモンがセットになった「UFO宇宙セット」という駄玩具がある。

これには右上に藤田屋商店のロゴマークが、右下にはB1383506と書かれたSTマークが印刷されている。

.

他にも以前入手した古めの射的セットにもロゴとSTマークが入っている。

射的セットに印刷されたSTマーク

STの合格番号はB1386となっており、4桁目の「6」から昭和46(1971)年に発売されたものと思われる。

.

この藤田屋商店をネット検索してみたところ、連絡がつき、このピエロ型のブロックについて話を聞くことが出来た。

その結果わかったことは、以下の通りである。

当時はヨーロッパの玩具見本市などに取材に行くことがあったそうで、

このブロックもドイツで入手した見本をもとに作ったそうである。

しかし、東京の他の業者が、日本での特許(意匠権)申請を行い特許をとってしまったそうな。

この業者はピエロ型の販売に関して特許侵害を主張し、

電話に出て下さった方が担当者として、何度も東京と往復し交渉をしたということであった。

結果、東京の業者を本家、藤田屋商店が分家的な立場になることに決まり、

東京の業者に特許(意匠権)使用料を払うことで解決したという。

この業者は実際には商品を製造することは無かったようだったそうである。

そのうち、この東京の業者が破産したらしく夜逃げして、先方の弁護士から特許権者がいなくなったので、

ロイヤリティを払わなくて良くなったと連絡を受けたとのことである。

その後、しばらくして明治製菓から、人間型ブロックを使いたいという問い合わせが藤田屋商店にきたそうである。

しかし、東京の業者が既に無く、ロイヤリティを支払う先が無いのではないかと答えたそうである。

それから明治製菓からこのブロックをプレミアムにしたお菓子が出たようだったが、明治製菓から再度の連絡は無かったそうである。

すでにヨーロッパではこの人間型ブロックが作られていて、日本のメーカーがデザインを移入したということである。

その証拠に、同じピエロのデザインで、小型のモノが見つかったが、それには「made in hongkong」の刻印があった。

サイズは小さく、ガチャに入れられそうな大きさであった。

左側から純正、小型ピエロタイプ、ピエロA型、ピエロB型、ピエロC型

小型の香港製にはつま先の突起がない。胴体の穴も省略されている。

ヨーロッパのブロックは日本が移入したピンキーブロックや香港製のパチモンに似ていたと思われる。

左側が小型ピエロタイプ、右側がピエロA型

胴体の模様が水玉とストライプだが、左右は藤田屋製と逆になっている。

香港製が外国製のデザインをより忠実に模倣している可能性があり、藤田屋よりも未知のヨーロッパ製に近いと思われる。

このピエロD型の販売形態が判明した。

駄玩具のセットの中に、ホチキス留め去れたビニール袋に入ったピエロD型が見つかった。

緑、青、水色、黄色、赤、ピンクが各2個で計12個入っていた。

このピエロ型には、大きなタイプも見つかった。

いつものぜんまい太郎さんにちょうだいした。

左からD型、ピエロG型、ピエロA型、ピエロC型、ピエロB型

左から2番目のが、見つかった大型のピエロ型で、二重になあった唇も襟飾りも半身の水玉とストライプも描かれている。

しかし、藤田屋商店のものと模様の左右が逆になっている。

これは香港製の小型のものと等しい。

先に見つかった大型のものよりも少し大きい。手足の穴は無く、胴体の3つの穴は藤田屋商店のものと非常に似ている。

思うに、このピエロ型のデザインが、元になったヨーロッパ製のブロックのデザインに近いのではないかと思われる。

.

で、これだけなら、胴体の太い人間型ブロックは、海外起源のピエロがモチーフのブロックでした、

ってことになるのであるが、それだけで留まらないのが駄玩具の奥の深さである。

.

いつものぜんまい太郎さんから、大きなピエロ型と一緒に、同じ形状的な特徴を持つ、中空のピエロ型をいただいた。

顔は鉄腕アトムと思われる縦線で描かれたパンツをはいた少年(白)と、

帽子をかぶり首元にリボンを飾った女の子の柄(黄色)であった。

薄手の黄色と白のパーツが組み合わさって、中は中空になっている。

上部には赤い蓋があり、この中に仁丹のような小さな菓子をいれていた容器であったと考えられる。

胴体には「意匠登録第9267号 出願済」と書かれている。

この番号を調べたところ、意匠公報を見つけた。

発行は昭和41(1966)年6月28日。出願は昭和39(1964)年。意(匠出)願番号は、昭39-9267。

登録は昭和41(1966)年5月25日となっている。

この形状は胴太の人間型ブロックに似ているが、意匠に係る物品は包装用容器となっている。

容器同士の結合等に関しての特記が見られないことから、組み合わせられる形状であることを特に強く押していない。

この考案者が、海外のブロック玩具の形状を元にしている可能性が高いが、

「容器の形として、人間っぽい形を考えたので申請します!」ってことで、強引にクリアしてしまった可能性がある。

藤田屋商店よりも先に、この人間型のブロックを発見し、別の品目であるとして、先に意匠を登録してしまったものと思われる。

.

藤田屋商店から「ブロックボーイ」や「ピンキーブロック」としてピエロ型ブロックが発売されたのは、昭和44(1969)年である。

この容器は昭和39(1964)年に申請されたから、さらに5年も前に作られていたことがわかる。

ピエロ型の元になった海外の玩具は1960年代の早い時期にはあったのかも知れない。

掲示製菓の「ピコタン」が発売されたのは昭和49(1974)年なので、人間型のブロックというアイデアは、

我々が思うよりもずっと古かったことがわかり、

菓子のオマケとして「ピコタン」が大流行するよりもずっと前から、メジャーなデザインであったことがわかる。

.

さらに、明治製菓の「ピコタン」や、そのパチモンに影響を受けたと思われるピエロ型の駄玩具も見つかっている。

パチモンピコタンの中で、パチモン駄玩具メーカーとして良く出てくるマルコー産業から発売されていたものに、

スマイル顔のものが見つかっている。

ピエロF型

胴体のストライプと水玉模様は、藤田屋商店のピエロ型と似ているが、顔がスマイルになっていて、

マルコー産業製と思われるパチピコに似ている。

左側からピエロ型スマイル、パチモン顔有りC型スマイル

他の多種のパチピコと一緒に見つかったため、パッケージが発見されておらず、製造メーカーは特定できない。

マルコー産業がピコタンだけでなく、その前からあるピエロ型についてもパチモンを作成したのか、

前々からあるピエロ型のパチモンを作るにあたって、他のどこかのメーカーがマルコー産業だけでなく

広く使われていたスマイルでザインを流用した可能性もあり、良くわからない。

.

また、胴体にスポーツと文字が入った胴太デザインも見つかった。

これも多くの種類のパチモンと一緒に見つかったもので、販売時期やメーカーはわからない。

ピエロE型。左からキャッチャー、ヤキュウ

ピエロE型。左からキャッチャー、ヤキュウ

安価で数が揃えられやすいことから、野球遊びのコマとして使うために作られたのかも知れない。

明治製菓の「ピコタン」は、第三弾としてスポーツシリーズが出たので、ピエロ型の形状を真似た駄玩具で、

ピコタンのスポーツシリーズに影響された顔の駄玩具が作られた可能性がある。

.

と、ここまでが、ピエロ型に関する総括であり、

ピエロ型の歴史の古さと多様性をまとめたものである。

人間型のブロックは、明治製菓の「ピコタン」のスマッシュヒットの前に、

10年も前から多様な進展を見せつつ普及していたことがわかる。

.

実際に、少し年上の先輩にピコタンの話をしてもピンと来ないが、

このピエロ型を見せると子供の頃に持っていた、と思い出すことがあった。

..

で、ここからが、今回の本題である。

もう十分お腹いっぱいな読者も多かろうと思うので、サクサク紹介していきたい。

.

某クションで、薬屋のノベルティと思われる、タグ付き袋入りの駄玩具を入手した。

白地にアリナミンAと書かれたタグが付いている。

武田薬品工業のホームページにある「アリナミン歴史ミュージアム」によると、

アリナミンAシリーズ発売の発売は昭和40(1965)年だったということがわかった。

ピエロ型の発売は昭和44(1969)年なので、何か商品のマイナーチェンジをしたのか、

何らかのキャンペーンで配付されたものと思われる。

中身はピエロ型3個をはじめとして、各種駄玩具が詰め合わされている。

ピエロ型はA型と分類した二重唇に襟や袖のフリルが刻印された初期型で、青、黄、ピンクが各1個入っていた。

..

プラスチック製のコマも3個入っていた。

ベイゴマの流行ほどの人気はなかったと思われるが、遊ばれたもののようで色々な駄玩具のセットや、

籤のハズレとしてこの手のプラスチックコマは各社がいろいろな形のものを作ったようで、良く見かけるようである。

同じようなコマの玩具が、小台紙袋入りで入っていた。

「中国民芸きょくげいコマ」と小台紙に書かれている。

イラストから推測すると、緑色の台につまようじを差し込み、その先端にコマの下面にある凹部を嵌めてまわして、

ぶつけることでケンカをさせて遊ぶものらしい。

台紙には、カタカナのフを4個と漢字の田がデザインされたロゴマークがある。

このロゴは、ピンキーブロックの小台紙にも見られ、ピエロ型を作った藤田屋商店のロゴマークであると考えられる。

このアリナミンAの販促用ノベルティの駄玩具セットも、藤田屋商店の商品である可能性が高い。

ピンキーブロックの小台紙

..

他にも様々な駄玩具が入っていた。

大きいものでは日の丸の付いた低翼単葉プロペラ機のUコンが入っていた。

説明するまでもないが、Uコンとは、飛行機の模型に糸を付けて回すことで遠心力によって飛ばす玩具である。

プロペラが付き、翼のフラップが下がっている飛行機と、糸、糸を持つためのリングがセットされている。

リングはランナーで本体と繋がっている。

ラジコン飛行機は高価で飛ばすところも無かった当時の子供に飛行機を操縦する夢をゆるーく叶えてくれる画期的な玩具であったが、

ゲイラカイトの流行等もあり、じきに廃れてしまったように覚えている。

..

薬屋のノベルティとしてポピュラーな貯金箱もあった。

ポスト型で上部に硬貨を入れる切れ込みがある。なぜか正面には10円玉が刻印されている。

本体下部には、いい感じのパチ感満載の、某ネズミ−のキャラクターが刻印されている。

左側の前方後円墳の様な突起は鍵穴を表しているようである。

ネズミ−の周囲の四角形は、鍵穴の付いた蓋を表していると考えられる。

しかし、なぜ、この部分に唐突にネズミ−が描かれているのかは不明である。

..

何に使うのか不明であるが、中空のタコも入っていた。

左側にリング状の突起があるので、水に浮かべて釣り上げて遊ぶためのものかも知れない。

ハチマキをして片腕をあげたタコのデザインは、タコチュウのパッケージにも良く見られるモチーフである。

このデザインは、ソフビやぜんまいで動く玩具等にもあり、非常に一般的なデザインであったようである。

..

プラスチック製のバイクも入っていた。

補助輪付きで自立できる。ピエロ型を乗せるにはちょっと大きいが、

そのようにして遊ぶことを想定して入れられていたのかも知れない。

..

駄玩具を10点も入っていて、ノベルティとしてはなかなか贅沢な構成である。

アリナミンAという、ちょっと子供に縁遠い薬のオマケになぜこのようなセットが用意されたのかはわからない。

タグにはもっと多くの種類があり、様々な薬のノベルティとして、藤田屋商店の駄玩具が頻繁に使われていた可能性もある。

今と違ってオモチャをまとめて手に入れる機会も少なかったであろう当時の子供には、なかなかの宝物だったと思われる。

当時のデッドストックを入手して、このノベルティを手にしたであろう当時の子供の嬉しさを追体験する。

・・・幸せだったろうなぁ。

..

今の子供には、いや、大人にも、わかんねぇだろうなぁ。

共有したいとも思わないけど。(^^;)

..

一切の内容の無断転載、流用を禁止する。

戻る