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ご先祖様の研究史

大型ピエロタイプとピエロ型容器

前項で、紹介したように、1974年に明治製菓から発売されたピコタンは、発売当時は大流行し、

多くの駄玩具メーカーがパチモンを作り、玩具店、駄菓子屋、お土産屋などで広く販売された。

ピコタンは、同じ形の人間型ブロックを収集して、つないで遊ぶことに重点を置いたおまけで、

「集めて繋ぐ」というコンセプトの多数のおまけの先駆たるものと思われる。

「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」浅山守一著より引用

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しかし、人間型のブロックを繋げて遊ぶアイデアは、ピコタンが初めてではなかったことが、その後の調査で明らかになってきた。

おもちゃ大国の感がある日本だが、玩具輸出額で世界第1位になったのは昭和41(1966)年であった。

それまでは、先行する欧米の玩具のライセンス生産などが多かったことは容易に想像できる。

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少し年上の大学の先輩から、ピコタンよりも大きな人間型ブロックをもらったのは、就職して数年してからであった。

参考画像:ピエロA型(左は純正後期)

純正ピコタンよりも一回り大きく全長3.85センチ。胴体に括れがなく、3つの穴が開けられている。

つま先部分の突起を填めて繋げるのに使うのは、純正ピコタンと同じである。

顔はリアルなピエロで、左半身がストライプ、右半身が水玉模様、首と手足にはフリルを表す曲線がある。

このタイプをピエロ型と命名し、当初は、ピコタンに影響されたパチモンの一種と考えていた。

この最初に見つかったものをA型と称することにした。

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オークションで、同型の駄玩具を落札した。説明画像からはタグ付きの小台紙付きビニールに入ったデッドストックであることはわかったが、

送られてきてびっくり!サイズが1.5倍も大きなものだったのである。

顔は単純化され、ストライプと水玉模様こそ残っているが、フリル模様は省略されており、胴体には穴がなく、

ピエロ型の簡易デザインのように見えた。胴体は肉抜きされ、内側にも模様がある。

手には穴があり、ここに紐を通して遊んだのではないかと思われる。

タグには「セーフティトイ」と書かれており、吊り下げてみやげ物屋の店先などで売る玩具に汎用的に使用されていたものと思われる。

これを後にピエロ型の大型(後にC型と改称)とすることにした。

ピエロ型のデザインが、ピコタンのパチモンとしていろいろに使われていたことを示すものと思われた。

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その後、偶然下北沢の古い米屋で、同じ形のブロックを見つけた。購入を申し出ると台紙も付けてくれた。

大きさは最初にもらったピエロ型に等しい。顔はオークションで落札した大型のほうに似て簡略化されていた。

台紙には「ピンキーブロック」と書かれていた。田の字を中心に風車のようなロゴがあった。

この簡略版をピエロ型のB型と称することにした。

左からピエロ型、ピエロB型、ピエロC型

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都内某ショップで、パチモンピコタンに混じって、このピエロ型の小型版を発見した。

大きさは純正ピコタンよりも小さく、A型の半分ほどしかない。胴体の穴もつま先の突起部も省略されている。

しかし、顔はピエロ型のA型に大変よく似ており、首のフリルも再現されている。

服が左半身が水玉模様、右半身がストライプと逆になっている。

裏面胴体中央部に「HONGKONG」の刻印がある。

サイズが20円ガチャのカプセルに入りそうなことから、ピエロA型のガチャ用コピーとして香港で作られたものではないかと思われる。

この小型をD型と称することにした。

左側から純正、ピエロD型、ピエロA型、ピエロB型、ピエロC型

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このピエロ型が、実はピコタンよりも古くからあったことが、業界紙に記事により判明した。

昭和44年(1969)年、ピコタンの発売(昭和49年(1974)年)よりさかのぼること5年も前に、新発売されていたことがわかった。

「玩具商報」昭和44年1月1日号には「ブロックボーイ」が、同誌昭和44年8月15日号には「ピンキーブロック」が紹介されていた。

.玩具商報(昭和44年1月1日号)より引用

.玩具商報(昭和44年8月15日号)より引用

発売は藤田屋商店。

下北沢で見つかった「ピンキーブロック」の台紙にあったロゴは、調査の結果この藤田屋商店のものであることがわかった。

ブロックボーイ」(紙箱・ピエロA型入り)、

「ピンキーブロック」(プラ四角ケース・A型入りプラ四角ケースでクラウンロゴ・A型入り

ビニールバケツ型ケース・B型入りタグ付き小台紙・B型入り)等が見つかった。

この結果、先にあったのはA型タイプで、B型に簡易化された可能性が高い。玩具商報のピンキーブロックの紹介に、

「新商品」とあるのは、顔を変更したことを指すと思われる。

リアルなピエロ型が日本のお子様に受け入れられず、顔を簡略化した可能性が高い。

ヨーロッパでは周知のピエロのイメージが、日本では定着していなかったため、

よりかわいらしいデザインに変更したと思われ、ピエロA型のデザインが元になったヨーロッパのデザインに近いと想像される。

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で、藤田屋商店に連絡したところ、当時を知る方からお話を聞くことができた。

ピエロ型人間ブロックは、ドイツの見本市で見かけたもので、日本の意匠権所有者にライセンス料を支払って、国内で発売した。

玩具商報の記事がこれに当ると思われる。

大きなものも作ったという。これがC型ではないかと考えた。

そのうちに、日本の意匠権所有者が夜逃げしてしまい、ライセンス料の支払先がなくなってしまった。

その後しばらくして、明治製菓から(か、その代理店かは忘れたが)、人間型ブロックを作らせて欲しいと問い合わせがあり、

元ネタが外国であること、意匠権所有者はいなくなってしまい、ライセンス料は払えない状態であることを知らせたそうである。

問い合わせの後に明治製菓側から特に連絡はなく、しばらくしたらピコタンが発売になったということであった。

このやり取りが、ピコタンが発売された1974年までの間になされたものと推測できる。

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最近になって、新しいピエロ型のバリエーションが確認された。

ひとつはスポーツタイプで、前面には「SPORTS」と、種類名(ヤキュウ、キャッチャーが見つかった)が書かれている。

顔はキャッチャーミットをかぶったのと帽子をかぶったピッチャーの絵柄であった。

ピエロE型。左からキャッチャー、ヤキュウ

ピエロE型。左からキャッチャー、ヤキュウ

大きさはA・B型よりも小さく、後述のスマイルタイプよりはほんの少し大きい。厚さが他のものよりも極端に薄く、

半分くらいしかない。これをE型と称することにした。

左からピエロA型、ピエロB型、ピエロE型

明治製菓のピコタンは、人間型の後に、動物バージョンや運動会バージョンが作られた。

また、腰部にボールジョイントを持つ人間型ブロックには、水島新司の「ドカベン」のシールを貼ったものも見つかっている。

このピエロ型も、人間型ブロックをスポーツ遊びのコマにするアイデアの影響を受けたものと思われる。

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もうひとつはスマイルタイプで、ピコタンのマルコー産業製パチモン(パチモンピコタン顔ありC型)に似ている。

モールドはB型よりきれいで、A・B型に比べて全長が若干短い。これをF型と称する。

ピエロF型

左側からピエロ型スマイル、パチモン顔有りC型スマイル

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藤田屋商店がいつまでピエロ型玩具を作っていたかは不明だが、このE・F型はピコタンの流行に触発されたパチモンに

影響を受けて作られたものの可能性が高いと考えられる。

A・B型と形状が違うことから、他の業者がピエロ型を真似て作ったものではないかと思われる。

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ピエロ型のデザインは、ピコタンのパチモンにも影響を与えていたことがわかってきた。

ピエロF型のスマイルに似た顔を持つパチモンピコタン顔有りC型の台紙のイラストは、ピエロ型に似ている。

人間ブロック

ピコタンのパチモンのパッケージには、他にもピエロ型に似たイラストが見られる。

パチモンピコタン顔有りB型と命名したタイプのタグイラストも胴体が太くなっている。

パチモンピコタン顔なしK型とパチモンピコタン顔ありC型の2種類は、メーカーが違うと思われるが、

パチモンピコタン顔有りC型を顔無しK型が模倣した様に見える。

左から顔なしK型、顔ありC型

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ピエロ型に似たイラストが使われたタグは他にもある。前述の「人間ブロック」では無く「人形ブロック」という名前で売られていた、

パチモンピコタン顔無しB型・C型と、パチモンピコタン顔無しD型のタグも良く似ているが、

線の強さから顔無しD型のタグを顔無しB型・C型のタグが模作したと考えられる。

左がパチモンピコタン顔無しB型・C型のタグ、右がパチモンピコタン顔無しD型のタグ

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生産高でこそ世界一になった日本玩具界だが、玩具デザインのアイデアはまだ外国に依存していた1960年代後半。

ヨーロッパのデザインを元にピエロ型のブロックが日本でも作られた。

お菓子のおまけという新しい切り口で人間型ブロックのデザインが使用され、明治製菓のピコタンとして大ヒットした。

ピコタンの流行は多くのパチモンを生み出し、そのパッケージ等にはより以前からあるピエロ型の影響を受けたものも多くできた。

その後、今度はそのピコタンのバリエーションやパチモンピコタンのデザインがピエロ型に影響し、

ピエロ型のスマイルタイプやスポーツタイプがうまれるというように、

同じヨーロッパでザインという種から生まれたピエロ型とピコタンが、お互いに複雑に影響しあい、

多くの種類が生まれたことがわかった。

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と、ここまでが前振り。

外国生まれのピエロ型のデザインが日本に入って来たってことを理解するように。

試験に出すからな。

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それで、だ。

このピエロ型に新しいタイプが見つかった。

押し入れの奥にあったノリの缶詰めに仕舞ったまま忘れられていたというような駄玩具と一緒に1個だけ見つかった。

ピンキーブロックやブロックマンよりも大きいのは出品画像からもわかった。

当初は大型のピエロC型かと思ったが、手許に来て確認したところ、

顔がC型と違い、A型と同じリアルピエロタイプであることがわかった。

この大型のリアルピエロタイプをピエロG型と命名することにした。

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顔はリアルピエロ型で唇は二重になっている。山形の眉も二重丸の鼻も、ほほの三角形の部分も良く似ている。

左からピエロG型、ピエロA型(ブロックマン)、ピエロD型(小型)

どれかの顔を機械的に拡大・縮小したわけではなく、同じデザイン画をもとに、それぞれのサイズで彫刻したと言う感じである。

左からピエロG型、ピエロA型(ブロックマン)、ピエロD型(小型)

全体を見ると、ピエロA型に比べて、G型(大型)、D型(小型)は、腕が長いのがわかる。

首のフリルはすべてのタイプにあるが、手足のフリルは小型のD型のみ小さすぎるためか、省略されている。

服はピエロA型は、向って右が水玉、左がストライプだが、G型とD型では右がストライプ、左が水玉になっている。

ブロックマンのピエロA型は、日本の藤田屋商店が意匠権料を支払って作った国産である。

小さなD型は香港で作られたガチャ用のいわゆるパチモンである。

ピエロD型(小型)

A型もB型も藤田屋商店の商品であり、大型のC型もタグに日本語で「安全トーイ」と書かれてあり、日本産である可能性が高い。

日本製であることがわかっている3タイプと、

ピコタンの影響があると思われる比較的新しい派生型の可能性が高いF型(スマイルタイプ)は向って右が水玉、左がストライプになっている。

左からD型、ピエロG型、ピエロA型、ピエロC型、ピエロB型

リアルピエロの顔で服の模様が反対で、日本製玩具の擡頭とともに下火になった香港製であることから、

小型のD型は、初期のピエロ型デザインを元にしたパチモンである可能性が高い。

そのD型に非常に似ている今回発見されたG型は香港製パチモンの元になった、もっとも初期のピエロ型のデザインである可能性がある。

ドイツの見本市で出品されたピエロ型は、リアルピエロタイプで、水玉が左で、腕が長かったと仮定すると、

それを起点にして、ピエロ型の人間型ブロックがどのように派生したかをまとめると以下のようになる。

ピエロ型の派生関係

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で、それで終わらないのが、このページすごいところで。

ぜんまい太郎さんが、フリマでまた凄いものを発掘してくださった。

ピエロ型のケースである。全長は8.1センチにもなり、先に紹介したG型よりも大きい。

左から純正後期、ピエロA型、ピエロG型、ピエロH型

前部・後部が黄色と白の別パーツで、頭頂部に赤い蓋がついている。

穴の直径は9mmで小さなガムやチョコレート、仁丹のようなもののケースだったようである。

このタイプをピエロH型と呼ぶこととする。

顔は鉄腕アトムと思われる縦線で描かれたパンツをはいた少年(白)と、

帽子をかぶり首元にリボンを飾った女の子の柄(黄色)であった。

黄色の胴体には「意匠登録第9267号 出願済」と書かれている。

意匠登録は出願し、認証されると意匠権が認められるもので、とりあえずこの番号を、

「特許電子図書館」で該当する番号を検索したところ、この第9267号がヒットした。

昭和の年号ー該当番号で検索した結果、昭和39年の出願で意匠登録が0259936という番号でなされたことがわかった。

さらに調べると、この件の意匠公報が見つかった。

発行は昭和41(1966)年6月28日。出願は昭和39(1964)年。意(匠出)願番号は、昭39-9267。

登録は昭和41(1966)年5月25日となっている。

意匠権者(創作者)は、名古屋の前田さんと言う人らしい。

意匠に係る物品は包装用容器となっている。

藤田屋商店から、ピエロA型が発売されたのは、玩具商報に「新発売!」とあることから昭和44(1969)年である。

そうすると、このピエロ型の形状を持つ容器は、昭和39(1964)年、ピエロA型をさらに遡ること5年も前に売られていたことになる。

ピエロ型の形状はヨーロッパ由来であるという藤田屋商店の当時の担当者の証言にあった、

意匠権のロイヤリティを支払った相手が、この前田氏であったかも知れない。

しかし、気になるのは、意匠に係る物品が包装用容器となっていることである。

人間を模した形状の絵入りの容器の「創作者」であって、人間を模した形状の部分はヨーロッパから拝借して来たものである可能性もある。

頭に蓋のある人間型の容器という部分の意匠登録にあたって、人間型の形状については外国のデザインを参考にして、

一まとめに出願したのでは無いかと思われる。

このような、機能・形状の新しい意匠の申請にあたって、ベースとなるデザインを忍び込ませるのは、

明治製菓のピコタンのデザインに、腰部のジョイントを追加した「ポーズブロック」の登録の際にも見られた。

...........................特許電子図書館より引用

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明治製菓の「ピコタン」の発売は1974年。

この人間型ブロック容器はさらに10年を遡ることがわかった。

前へならえ型の意匠登録が、42年出願、44年登録であった。

優先権主張が1966年になっているが、

今回調べた限りでは、人間型容器は昭和39(1964)年と、さらに古い。

ピコタンで人気をはくした人間型ブロックの最古のサンプルであることがわかった。

ドンドン古い地層に彫り進んでいる実感。感じていただけますでしょうか?

わっかるかなぁ、わっかんねぇだろうなぁ。

別にわかってもらわなくてもいいんだけどさ。

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