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カニタン新発売の記憶

スイート ガイド No.25、'77ロッテスイートパレード

お菓子にオマケをつけるという販売方法は、戦前のグリコのおまけに遡る歴史のある、常套的な手法であった。

戦後になって、漫画や、それを元にしたアニメ番組が作られる様になると、

そのキャラクターの絵柄を使ったオマケが多く作られる様になった。

しかし、キャラクターを付加することで売り上げが違ってくることがわかると、

キャラクターの使用料が設定され、次第に高額になってきたようである。

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そのため、子供相手の単価の低い商品である菓子に、多額のキャラクター使用料を払いにくい製菓会社は、

独自デザインの様々なギミックを持ったオマケを自作して投入することになった。

その中でも比較的早い段階で、「集めて繋げる」というコンセプトを最初に提示したのが、明治製菓の「ピコタン」であった。

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明治製菓の社史に記載があるが、ピコタンが発売されたのは昭和49(1974)年であった。

「明治製菓の歩み 買う気で作って60年」より引用

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オマケを集めさせることで、販売数の増加に寄与させるというアイデアは、ピコタンが最初だったようで、

後にオマケのアイデアを集めた書籍には「<集めて繋ぐ>オマケのパターンをつくった先駆者かもしれない」と書かれている。

(「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」(昭和58(1983)年 浅山守一: 自由現代社)より引用)

「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」より引用

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ピコタンの発売が1974年であったことを示す証拠が見つかった。

「Meiji SWEETS GUIDE No.12 1974年秋 明治製菓製品」という販促用の冊子に新商品として紹介されているのを確認した。

Meiji SWEETS GUIDE No.12

この冊子は、菓子店や問屋への営業用の資料であったようである。

この中に1ページを使って、新商品であるピコタンを紹介している。

細長いチョコレートウエハースとオマケを入れた紙製のケースを乗せた紙製の台紙が、ビニール製の袋に包まれていた。

参考図版:たこちゅうのパッケージ構成

オマケは2個が紙製のケースに入れられており、紙製のベルトで巻かれていた記憶がある

画像はどうぶつピコタン

当初、ピコタンのオマケのデザインコンセプトは、このオマケのために作られたと思っていたが、

実は海外の玩具にその起源を求めることができ、似たようなものが玩具として売られていたことがわかった。

.玩具商報(昭和44年1月1日号)より引用

.玩具商報(昭和44年8月15日号)より引用

藤田屋商店に問い合わせたところ、ドイツの玩具ショーで見つけた人間型のブロックを、ライセンス料を払って製造していたという。

その後、明治製菓(の代理店のエースプレミアムと思われる)から連絡があり、コンセプトの使用の打診があったそうである。

しかし、その時、人間型ブロックのライセンサーと連絡がとれなくなって入ると答えたところ、

しばらくして明治製菓から「ピコタン」が販売されたいう。

このアタリの経緯について、

詳細は「徹底解明!ピコタンのできるまで」を参照されたい。

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藤田屋商店の人間型ブロック(ピエロA型)には、ピエロのデザインが使われているが、

「HONG KONG」の刻印の入った小型のもの(ピエロD型)にも同様のピエロが描かれており、オリジナルの海外玩具のデザインに近いものと思われる。

左側がピエロD型、右側はピエロA型

ピコタンのパッケージにあるピエロのデザインは、海外の人間型ブロックに採用されていたものに影響されたと考えられる。

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ちなみに、この胴体の太い人間型ブロックは、ケースとしてはさらに古い例が見つかっている。

頭部にキャップがあり、丸薬状のものを本体に収納していたと思われる。

胴体は前後で違う顔が描かれており、ピエロの絵ではない。

胴体の刻印から意匠公報をみつけることができた。見ると昭和41年に登録されている。

この書類によると昭和41年(1966年)に登録されている。

藤田屋商店の人間型ブロックの発売が昭和44年(1969年)、ピコタンの発売が昭和49年(1974年)なので、

この人間型のブロックの基本的なデザインは、海外ではかなり古くからあったのかもしれない。

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・・・と、盛大に横道に外れたが、ここからが本題である。

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某クションで、1977年(昭和52年)の、菓子メーカーのカタログを入手した。

明治製菓の「SWEET GUIDE No.25」と、ロッテの「'77 LOTTE Sweet Parade」である。

Meiji SWEETS GUIDE No.25

'77 LOTTE Sweet Parade

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このサイトで扱っているのは、明治製菓は「ピコタン」、「明治合体チョコボール」、「カニタン」、「カメタン」で、

ロッテでは「たこちゅう」である。これらの販売期間は以下の様に判明している。

商品名 販売期間 備考
ピコタン 1974年〜販売終了年不明 社史(60年史・70年史)とMeiji SWEETS GUIDE No.12より。
明治合体チョコボール 1975年〜販売終了年不明 「きのこの山」のホームページより。
カニタン 発売年・販売終了年不明 1985年にクリア版入りスナックが再版される。ひこねのりお氏のブログより。
カメタン 1978年〜販売終了年不明 ひこねのりお氏のブログより。
たこちゅう 1976〜1977年 「ロッテお客様相談室」から。

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今回、これらのカタログを入手することで、販売時期についての重要な情報を入手することができた。

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まず、カニタンの発売時期について、1977年であることが確定できた。

Meiji SWEETS GUIDE No.25より

「新製品」のマークがあることから、1977年の秋期に発売されたものと考えられる。

価格は70円で、20サック×12ボールと書かれている。

このパッケージを2列×10個か、4列×5個を立てた厚紙のケースに入れたものが、12個を段ボールに入れて納品したものと思われる。

ピコタンの新商品紹介記事には、「ストロベリークリームウェハーチョコ2本入り」と書かれているが、

カニタンのパッケージには「明治チョコウェハー」と書かれており、パッケージのイラストにもイチゴ味を示すピンク色は使われていない。

一般的に馴染みやすい普通の味にすることで、広い支持を目指したのかもしれない。

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パッケージには、「つないであそべる<カニタン>いり おめめもうごくよ!!」と書かれている。

繋ぐためには沢山集めなければならず、「ピコタン」から始まった繋いで遊ぶというコンセプトを受け継いでいることがわかる。

ピコタンの第一弾はオマケ2個入りで50円だったことがMeiji SWEETS GUIDE No.12の記事からわかっている。

ピコタンよりも大型で、2パーツからなるカニタンは、70円と少し高い価格設定になったものと思われる。

カニタンは、紙製ケースに1個、紙バンドで巻かれた状態で入っていた。

カニタンケース

パッケージに「おめめもうごくよ!!」とある通り、カニタンは上のパーツの目の下にある突起が、

下のパーツの浅くなる溝を辿ることで、目が起き上がる。

カニタンのパーツ構成

このギミックは面白いが、目の付け根が薄くなっているため、慎重に動かさないと目が折り取られてしまう。

そのため、目が取れたり、引っ掛かったまま無理に動かすため足が折れたりすることが多かった。

↓目が立った状態

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先の「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」によると、

「脚を動かせば目玉が上下し、両脚前部で挟むことができる。さらに左右、前後に繋ぐことができる。」と書かれている。

この本は、昭和58(1983)年に出版されているので、本文中の「最近ヒットしたオマケの一つに、」とあるのは、

1977年に発売された、このカニタンの事であると思われる。販売期間も短かった様に思うが、それなりにヒットしたらしいことがわかる。

キャラクターデザイナーのひこねのりお氏のブログによると、カニタンは昭和60(1985)年に、スナック菓子のオマケに使われたそうである。

この時は、クリア素材で作られ、「クリスタルカニタン」という名前が付けられたと言うことであった。

ひこねのりおの六十年発掘(仮)

https://ameblo.jp/hikonenorio/

「ノベルティーズ製作ヒント集」は昭和58(1983)年に刊行されたため、ここでいうところのカニのおもちゃは、

クリスタルカニタンが入ったスナック菓子のことではないと考えられる。

スナック菓子はパッケージ画像によると、「カニの風味が生きているか〜るいおいしさのスナックです。」と書かれている。

原材料に「小麦粉、植物性油脂、カニ調味料、食塩、香料」とあり、カニの味に寄せたもので、

イラストを見ると、森永のスナック菓子「おっとっと」のような形だったようである。

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ロッテの'77 LOTTE Sweet Paradeからは、たこちゅうが少なくとも1977年秋までは販売されていることが確認できた。

ロッテ製品荷姿一覧表より

以前、ロッテお客様相談室に問い合わせたところ、たこちゅうの販売期間は1976年〜1977年であるとの回答を得た。

先に紹介した「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」によると、

たこちゅう(文中はタコチュー)は、偽物も出回る程売れたが、パート2はパッとしなかったと書かれている。

1977年の秋のカタログには、新商品と定番商品の他に、

デザインが変更されたものには、「New design」というマークが付けられて紹介されている。

商品一覧にだけ記載されていると言うことは、パート2のスッポリダコの追加はもっと前のタイミングであったことがわかる。

ロッテのカタログに号数の記載はないが、「ロッテ秋の新製品ガイド」という副題からわかるように、

春夏秋冬の4回か、春秋の2回か、年に何回か発効されていたことがうかがえる。

この手の販促資料は、探して見つかるものではないので、機会があったら、他の号も探してみようと思う。

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今回、期せずして明治製菓とロッテのカタログを入手できた。

どちらも、最初に社長の挨拶があり、チョコレート、明治製菓はビスケットが入り、キャンディーと分野ごとに紹介して、

最後に商品一覧がくるという構成は良く似ている。

1974年の明治製菓のカタログには、仮面ライダーXのチョコボールがあったが、

1977年にはロッテも明治製菓も、テレビ番組や漫画のキャラクターをあしらった商品はない。

商品のキャラクターイラストはオリジナルに書き起こされたと思われるものばかりで、

漫画・アニメのキャラクターの影響力に頼った商品はみあたらない。

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以下にお見せするのは明治製菓のカタログのチョコレートスナックのページである。

「夢と創造のひろがりを大切にしています。明治の子供向け商品」というメインのコピーと、

「チョコのおいしさに、遊べるたのしさを合体しました。つないで遊べる、たのしい新おもちゃ。」というコピーがあり、

新発売の「カニタン」と「ピッコロ」、「カプセルダー」の3種類のオマケ付きチョコレート菓子が紹介されている。

「カニタン」と「ピッコロ」には新発売のマークがついており、新商品は70円と価格が若干上がっているのがわかる。

これらのパッケージにあるイラストはどれも描き起こされたもののようで、「ピッコロ」のブラブラくんも、オリジナルデザインと思われる。

「ピッコロ」という名称は、ピコタンのパチモンにも見られた。

中身はパチピコ顔ありA1型が入っていた。

このタイプのパチモンは商品名のタグがないものはいくつも入手していたが、タグ付きは最近になって存在が確認された。

名前のピッコロが、1977年に新販売された明治製菓の菓子に由来するのであれば、このパチモンはピコタンの発売の3年も後になる。

発売時期は不明だが、ロボクンという明治製菓のオマケがあり、その名前をそのまま使ったパチモンが見つかっている。

明治製菓のロボクン

幅広くパチモンを製造しているマルコー産業の「ロボくんブロック」である。

大型2パーツパチモンとインベーダーゲーム消しゴムがブリスターに入っている。

ロボくんブロック

マルコー産業製では無さそうだが、「合体ロボくんブロック」という例もある。

「合体」はというフレーズは、明治合体チョコボールから取られたと考えられる。

こちらは本体に手足が付いた5パーツの駄玩具である。

ピコタン」や「たこちゅう」というといったそのままの名称をつかったパチモンも見られるため、

パチモンピコタンの「ピッコロパズル」の「ピッコロ」は、1977年新発売された、明治製菓の「ピッコロ」を元にする可能性が高い。

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「ピッコロ」の様に、本体から伸びた可動ジョイントを持つオマケがロッテのカタログにも見られた。

「ポップル」といい、細い腕の先端に棒状突起ジョイントがあり、足の突起に差し込んで合体させるもののようである。

チョコレートは明治製菓のマーブルチョコレートに似ているようである。

オマケのイラストはサルのような本体から細い腕が伸びており、コピーは「モンキーをつなげてあそぼう!」と書かれているので、

サルの形を模したのオマケだと思われる。

以前、このような形状の駄玩具を見かけた事があると思い探してみた。

ガチャのカプセルに入って見つかったのでパチモンかも知れないが、このような感じだったのではないだろうか。

イラストからは突起があるのは足の片方だけで、頭部にも繋げれられるジョイントがあった様にも見える。

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また、ジョイント部分が細い腕部の先に付いていて、繋げて遊ぶオマケはカネボウからも発売されている。

販売年はわからないが、パッケージとオマケを入手することができた。商品名は「ピッタシマン」である。

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球形のビスケットにチョコレートをかけたものだったらしい。

オマケは別箱になっており、「つないだりはりつけたりしてたのしくあそぼう!!」と書かれている。

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本体から伸びた細い腕の先に吸盤が付けられている。

それぞれのメーカーが、ジョイントの部分こそ違っているが、細い腕部をつなげることで自由度の高い合体をさせるアイデアは良く似ている。

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合体する車というアイデアも明治製菓とロッテのどちらのカタログにも見られた。

明治製菓は「ぼくらの町」という。実用新案出願中と書かれているが、どの辺の特長を登録したのかはわからない。

縦にも横にも上下にも合体できて、非常に小さい人形を乗せる様になっている。

ロボカーが7色が20種類で140種、人形は30種類。パッケージは56種類と、種類数が明記されており、

コンプリート欲を書き立てるコピーになっている。

オマケの全種類数が明記されているのは、このカタログでは「ぼくらの町」だけである。

コレクション性を前面に出して数を売ろうという戦略が露骨に見える。

このような前後左右に合体できる車というアイデアは、駄玩具にも見ることができる。

左から純正後期型、吸盤付き自動車、

前部と右後輪に吸盤がついている。吸盤付き自動車と仮称することにした。

サンプルは硬化してしまっているが、吸盤が付いているということは、たこちゅうのような柔軟な素材で出来ていたと思われる。

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ロッテは「改造ブロッカー」という。ボールチョコと書かれており、いびつなチョコの粒が写っているが、中身はわからない。

別箱に本体と車輪2個、そして小さな人形と、パーツが一つずつ入っているようである。

ジョイントはピコタンのものに似ているが、厚みがある。人形はとても小さく、すぐ無くなりそうである。

手持ちにも1個あったが、案の定、人形は失われていた。

どちらにも小さな人形が付いているが、成形も封入もなかなか手間だったと思われる。

子供は小さなものが好きだという分析があったのか、よくこんな小さなパーツを作った、とは思うが、

すぐ無くしてショックを受けさせられるに違いない。

この小さなパーツを極めるという方向性は、他の明治製菓のオマケにも見られる。

商品名も不明だが、明治製菓の刻印のある、合体して大きくするメリーゴーランド型のオマケが見つかっている。

ジャンク状態で入手したのでどのようなセットだったかわからないが、極めて小さい車のパーツがあった。

同じような価格の商品のため、オマケに費やせるコストはあまりかわらないのだろう。

その中で、少しでも他社よりも売り上げが欲しいため、どのメーカーも同工異曲のオマケを出していたもののようである。

その競争が、小さな人形を入れるという、ちょっとずれた方向に収斂されてしまったのではないかと思われる。

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キャラクターの版権料を払わずに、製造コストを抑えたうえで、同じような安価でできるギミックを考えなければならなかったということである。

先に紹介した、ノベルティグッズの制作アイデアをまとめた「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」のような本を

誰が買うのだろうかと疑問に思っていたが、コストも子供用であるという仕様も、ほぼ同じような条件で、

気紛れな子供達の支持を集めて、高いカネを払わせるためには、アイデアが勝負で、そのためにこういう本に大きな需要があった事が感じられる。

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カニタンと同じページに掲載されているのがカプセルダーである。

当時はこの形状のオマケを知らなかった。

「たこちゅう」も「明治合体チョコボール」も菓子店には欠品のことが多く、

もっぱら駄菓子屋に行っていたため、ちゃんとしたメーカーの新商品情報に疎かったようである。

そのため、この形状は、駄菓子屋で入手したパチモンを先に知った。

商品名は「テトラブロック」。現物が未入手のためサイズの比較はできないが、本物の方が球体の本体が若干小さいようである。

台紙には、「いろいろな遊び方をかんがえましょう」という、子供の創造力に丸投げのコピーが入っている。

この棒状突起が、明治合体チョコボールのスペースものと組み合わされて、一連の棒状ジョイント駄玩具になったことが、

「UFO合体ロボ」という駄玩具のタグから推測することができた。

この棒状ジョイントの駄玩具は、「小さなスーパーマン ガンバロン」(1977年)や、「合身 UFO戦士ダイアポロン」(1976年)、

合身戦隊メカンダーロボ(1977年)とコラボした一連の棒状ジョイント駄玩具へと進化して行ったようである。

このような棒状ジョイントをもつ宇宙モノの、オマケと思われるものが、不二家からも発売されていたのを最近になって発見された。

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最後にそれぞれのカタログの荷姿一覧表と、社史から1977年前後の年表を引用する。

明治製菓 スイーツガイド 1977秋

参考:明治製菓 スイーツガイド 1974秋

明治製菓の歩み 創業から70年(1986年)

明治製菓の荷姿一覧表と社史を見ると、明治製菓における1977年は、後々まで残るような大ヒットには恵まれず、

生産態勢の整備や、国際企業としての飛躍へ向けての準備の年であったようである。

実際に新商品と同じくらい新規格というマークが付けられた商品が掲載されている。

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スイーツパレード 1977秋

ロッテのあゆみ30年(1978)

参照したロッテの社史が1978年刊行の「30年史」で、発刊当時に比較的近いためか、新商品の紹介も詳細であるが、

それを割り引いても継続的に新商品を世に問うているのがわかる。

オマケつきのチョコレート菓子は、シールやプラスチック製の玩具が付いたものが複数ラインナップされている。

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明治製菓の1974年と1977年のオマケ付きチョコレート菓子を比べると、ラインナップが変わってしまっている。

1986(昭和61)年に刊行された70年史には、オマケ付き菓子は商品のライフサイクルが短くなっていることを説明している。

「明治製菓の歩み 創業から70年」より(1986)

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先に1974年の明治製菓の商品カタログに次いで、1977年の明治製菓とロッテのカタログを入手したことで、

経年的にも、同業他社の動向にも比較対象が出来たことで、立体的な考察が可能になった。

このサイトでは、明治製菓の「ピコタン」と「明治合体チョコボール」、ロッテの「たこちゅう」をメインに考察しているが、

その周辺にも多くのオマケが、智恵を絞り、コストを押さえる工夫を重ねて、一生懸命に飽きっぽい子供の創造力を育てようとしていたことがわかる。

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その創造力が育つには育ったけど、ちょっと方向性がずれたまま時が過ぎ、こんなサイトを作ってしまうことになることもある。

気が付くと19年。

おかげさまで、いろいろわかってきました。

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・・・別にわかったところでどうしようもないことなんですがね。

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パンフレットの入手にあたっては、T女史の手を煩わせた。毎度申し訳ない。

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