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タコチューの生みの親を発見

「おまけの玩具(おもちゃ)」

ロッテの「たこちゅう」は1976年〜1977年に発売されたチョコレート菓子で、

オマケとして付けられた吸盤のついたタコの玩具が大ヒットした。

しかし、ロッテの社史(「ロッテのあゆみ50年−21世紀へ」)の年表にも載っていずに、

文献資料にその姿をみることはできないと思われていた。

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だが、意外なところにパチモンとはいえタコチュウの姿を確認することができる本が見つかった。

「別冊太陽 子供の遊び集-明治・大正・昭和-」(平凡社1985)

「別冊太陽 子供の遊び集-明治・大正・昭和-」(平凡社1985)という本に載せられたもので、

「東京・台東区立下町風俗資料館内に復元されている関東大震災前の駄菓子屋の店先。

置かれているのは現代でも観られる駄菓子、おもちゃの数々」というキャプションが付いている。

タコチュウの発売の数年後、当時売られていた駄玩具を交えて、昭和の駄菓子屋の店先を再現したものである。

上掲の写真の矢印の部分を拡大すると、台紙に小袋に入れてホチキス留めされた、透明のパチモンタコチュウを確認できた。

このサイトを開設し、この資料を発見して、改めて台東区立下町風俗資料館に確認に行ったが、

見学者に持ち去られたり、改装されて昭和初期の商品のみが配置されたりして、このタコチュウのパチモンはなくなっていた。

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・・・発売から30年以上。

ある特定の年代には知られたオマケも、文献資料に残ることなく、時間の堆積に飲み込まれてしまうのだろうと思っていた。

しかし、たまたま訪れた百貨店の古書市で、タコチュウを記載した書籍を発見した。

その書籍は美術書コーナーにあった棚の、下から2段目の左端に並んでいた。

「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」(昭和58(1983)年、自由現代社)というもので、

「−みんな誰でも”おまけ”に夢中になった−」という副題がついていた。

作者は浅山守一。

奥付の編著者略歴には以下のようにある。

浅山守一

1929年福岡県生まれ。
東京美術学校中退。
その後、アドマンとして活躍。独自のノベルティーズ理論を編み出し、注目される。
浅山ノベルティ研究所主幹。
尚、風景画家としても、伊豆を中心に活躍中である。

考案した「おまけ」には、アメリカン・クラッカー(リズムボール)、
ジャンピオン(跳ねる虫)、タコチュー(吸着盤)、
カニタン(連鎖動構造)等多数。

つまり、タコチュウの生みの親が判明してしまったのである!

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この本では、「タコチュー」とカタカナ標記で語尾はのばされている。

ロッテの「たこちゅう」はひらがな標記が正しいようである。

たこチュー」という名称の駄玩具も発見されているが、このあたりの標記は何が正解ということがないほど、

いい加減に使われていたのではないかと思われる。

表紙には、グリコなどで見かけたようなプラスチック製の玩具や、マジックに使うギロチン、

漏斗状の吹き出し口に、中空の球体を吹き上げる玩具等と一緒に、

ピコタンやカニタンが写っている。

カニタンはオレンジが2個、赤が1個、裏返されて写っている。

まん中の赤の裏面上部には、明治製菓の刻印と思われる盛り上がりが写っている。

しかし、オレンジの方にはこの刻印が見当たらない。

左が純正(裏面左上に明治製菓の刻印あり)、他はパチモン。

明治製菓の純正カニタンには、裏面左上に「丸c 明治製菓」の刻印があるが、

パチモンはこの純正の型を流用し、刻印部分を削っているため刻印のある位置の肌が荒れている。

表紙写真のカニタンには、この荒れも見えないので、明治製菓に採用される前の試作品を写した可能性もある。

純正カニタンにはオレンジ色があり、刻印を削ったパチモンには今の所オレンジ色のものは見つかっていない。

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表紙にはもう一種、別のカニタンタイプのオマケが写っている。

手前に写っている純正と思われるカニタンにくらべるとかなりサイズが小さいように見えるが、

画面奥のピコタンの大きさから考えて広角レンズのため遠近感が強調されているとも思われる。

カニタンのパチモンとしては、「目玉のうごくカニさん」という商品が見つかっている。

目玉のうごくカニさんのカラーバリエーション

色はこの青に良く似ている。

左が純正、右が目玉のうごくカニさん

大きさは純正の方が足が長い分大きく見える。

後ろ足は純正の方が彎曲が大きい。

左が純正、右が目玉のうごくカニさん

裏面は純正に比べて目玉のうごくカニさんは扁平で中央部の穴が大きい。

ハサミの切れ込みは純正よりも小さく、下部のパーツである左前足と右後足の付け根の補強が大きい。

右後ろ足の下部に、円形のくぼみがない。

後ろから見た時に、上部パーツのダミーの足が、純正よりも大きく見える。

表紙の写真を見ると、中央部に凹部がないように見える。ハサミの切れ込みは目玉のうごくカニさんに似て小さい。

ただ、右後足の裏面に大きな凹部が確認できる。右後足の上面と左前足下面の突起が、

純正や目玉のうごくカニさんよりも長く見える。

突起を受ける側の、右前足と左後足の穴が大きく見える。

目玉のうごくカニさんの上面後部は甲羅の後縁の直線であるが、写真に写っているものにはそれが見られない。

広角レンズと、2方向以上からライトが当てられているため分かりにくいが、

この青いカニは、純正でも目玉のうごくカニさんでもない、新種の駄玩具の可能性がある。

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表紙には、ピコタン型の人形ブロックも写っている。

緑1個、オレンジ2個、白が3個、クリーム色が1個写っている。

緑色はクリアかかっている様に見える。

広角レンズのためプロポーションは分かりにくいが、

腰部の形状や脇の突起の形から、純正前期と後期が混在しているように見える。

上掲写真の左側のオレンジは後期バージョンに見える。

純正のカラーバリエーションには上記4色は全てあるが、クリアなのは黄色しか見つかっていない。

このクリア黄色が、バックの緑色を透過して緑色に見える可能性もある。

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この本は「転がす」、「吹く、鳴らす」、「つなぐ」、「たたく」、「浮き(沈む)」等、

22の機能を持ったノベルティのアイデアを実例を紹介しつつ列挙している。

その中に、タコチュウ、ピコタン、カニタン、カメタンの4種類が紹介されているのである。

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「9、つなぐ」の項目に、「3、かにのおもちゃ」としてカニタンが紹介されている。

「これを2パーツ(2つの部品)で表現し、製作するかが課題で」と、

開発当事者としての苦労が察せられる説明になっている。

奥付にある通り、このカニタンの連鎖動機構は、編著者である浅山氏の考案であるとのことである。

表紙のカニタンが裏返されていて、また、この説明写真の上面が露出オーバー気味なのは、

機構の開発はしても、顔のデザインは明治製菓の関係のデザイナーが行ったためか、

わざと顔を見せない工夫のように思われる。

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「3、かにのおもちゃ」(カニタン)の後に、「5、つなぎ人形」という項目でピコタンが紹介されている。

ピコタンは、外国の人間型ブロックを起源として、日本での製造者である藤田屋商店の

「ブロックボーイ」や「ピンキーブロック」として売られていたのを、

別のノベルティデザイナーが明治製菓に紹介したことがわかっている。

(この経緯は徹底解明!ピコタンのできるまで part.1」、

徹底解明!ピコタンのできるまで part.2を参照されたい)

説明には「このオマケができるまで繋ぐことに重点をおいたオマケがなかったが」とある。

これはピコタン→明治合体チョコボール→カニタン・カメタンと、

明治製菓が「繋ぐオマケ」の系譜を提唱してきたという当ホームページの仮説に合致する興味深い記述と言える。

また、「このピコタンのオマケが、<集めて繋ぐ>オマケの先駆者かもしれない。」と書かれ、

玩具としてはレゴ等のブロックやピンキーブロックがあったが、多くがセット販売であったと考えられ、

ピコタンがオマケとして一つずつ集めてつなげるというシステムの嚆矢だったということがわかる。

「大ヒットした商品は二番煎じがきかないというが」以降のコメントと、

「<集めて繋ぐ>オマケの先駆者」としつつも、カニタンを先に紹介していることから、

カニタンに対する愛着が感じられて面白い。

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写真を詳細に観察すると、濃度から表紙の写真にも写っていたもののようである。

表紙の写真とちがって接写されているため、左上のクリアかかった緑色と思われるピコタンの表には顔がない様に見える。

顔の模様のないタイプとすると、胴体のひけ具合、首の部分に円形の凹部が無いように見えることから、

「人形ブロック」という商品名で売られていた、パチモン顔なしB型と分類したパチモンに似ている。

上段中央と右の白っぽいものは顔の有無はわからないが腰部の張りとかかとの形状、脇の突起の形状等から純正前期と思われる。

カニタンの所でも指摘したが、故意と思われるが顔を見えにくいようにしている様だし、

斜から撮影しているため種類の同定は非常に困難だが、複数の種類を資料として持っていたことが考えられ、

もしかすると未見のパチモンを使って撮影しているかもしれない。

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「10、はさむ」の項目には、「5、かみつきかめ」としてカメタンが紹介されている。

カメタンは、明治製菓の繋げるオマケの系譜でも後期のものにあたり、

たった2パーツで非常に完成度の高いギミックを実現している。

「オマケという廉価なものでどれだけ亀の面白さが引き出せるかを探究し、つくり出されたもの」という記述に

開発にあたってノベルティデザイナーたちの困難がにじみ出ているように感じられて興味深い。

実物とスケッチを比べてみると、非常に正確であることがわかる。

カメタンの甲羅の下部には、

「ポリプロピレン(足)、ポリエチ(甲)」と刻印されていて、

2つのパーツをそれぞれ違った素材で作り組み合わせるという工夫されたノベルティであることがわかる。

<繋げる>オマケの完成型の一つであると言える。

写真はカニタン、ピコタンと同様に、顔のデザインは見にくいように撮られている。

「17、くっつく」の項目には、「2、たこの吸付」としてタコチュウが紹介されている。.

タコチュウは当時の大流行にもかかわらず、菓子のノベルティを扱うような雑誌媒体もなく、

文献資料にはほとんど掲載されていないようである。

その意味でこの記事は数少ないタコチュウの紹介であり、稀少価値が高いと言えるものである。

「”タコチュー”という名称でL社にて商品化されて大ヒットしたもの」とあるが、

ロッテから発売された当時の名称は「たこちゅう」であった。

「たこの特長である吸付きに重点をおき、たこの頭と、吸着盤のみに省略されたユニークなオマケ」

と説明されている。

前述のように、奥付によると、タコチューの吸着盤は編著者の浅山氏の考案であるという。

「”タコチュー”のヒットにともなって偽物も出まわり、けっこう売れたようであった。」とあるが、

純正以外にも多くの種類があったことは当ホームページの

タコチュウ分類一覧表タコチュウ派生一覧表に詳しい。

「同社ではその後、パート2(写真)もだされたが、初代があまりにも強烈だったため、

あまりぱっとしなかったようである。」という記載があるが、

浅山氏がパート2として作られたスッポリダコのデザインには関わっていなかったか、

デザインはしてもその売り上げの詳しい数字に接し得ない立場に居たか、

タコチュウの終焉までは関れなかったことを示唆している。

オマケデザイナーといわれる人々が、ノベルティのギミックアイデアまでは出すが、

細かいデザインや派生型の製作等については関与が薄かったことが察せられる。

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写真には5個の「たこちゅう」が写っている。

一番左は、足の吸盤の直線的な形状や小さ目な直径の胴体部分、

色の濃さから濃い水色であろうと考えられることから、

最晩期型と名付けた、スッポリダコと同時期に出現したタイプと思われる。

まん中のチュウしてる2個は左側が胴体と吸盤のバランス、足の吸盤のラインから後期型と思われる。

右側のものは色が黄色であると思われ、足吸盤の付け根の太さ、足の吸盤の高さから、

前期の水に浮く素材で出来たもののように見える。

ただ、こう解像度でスキャンした画像からは、目の部分がエンボスされているようにも見え、

種類が確定できない。

右に写っているのはパート2の「スッポリダコ」と命名したタイプである。

下の段の大きなものは側面の足を表すエンボスの間隔が広いことから、

スッポリ大A型と分類した比較的数が多いタイプであることがわかる。

上に乗っている小さいスッポリダコは、側面の足のエンボスが、前後の分割線に重なっていることから、

スッポリ小A型と命名した、これも比較的出現数の多いタイプであることがわかる。

この写真でも、顔の模様は判別しにくい様に撮影されているのがわかる。

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「17、くっつく」の項目には、タコチュウの前に「1、吸付動物」として、様々な吸盤玩具が紹介されている。

タコチュウの前にも吸盤玩具はあったが、球形の本体と直角に配された吸盤のみという

タコチュウの絞り切ったデザインが成功したということを示すものである。

カニタンにしても、カメタンにしても、タコチュウにしても素材となる動物の特長を分析し尽くし、

シンプルなデザインの中にもその特長を彷佛とさせるギミックを入れることが、成功への法則であるということが読み取れる。

写真には、吸盤を使ったさまざまなデザインの駄玩具が出ている。

これらに似たものを、多足型パチタコとして紹介した。

吸盤の形状は非常に良く似ている。

ただ、この多足型パチタコには、タコチュウのスッポリ型に似た顔が付いている。

このことは、タコチュウ以前にもあった吸盤玩具が、タコチュウのヒットを受けて、

そのデザインの一部を参考にしたのではないかと考えられる。

左からスッポリ小C型、小A型

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巻末資料に「おまけ数433ヶに関しての分析の結果」という記事があり、

昭和58年に発行されたことと考えあわせると興味深い数字が出ている。

材料については92%がプラスチックで、紙(21%)、金属(15%)を抑えて

ほとんどがプラスチック製であることは、ピコタン・たこちゅう発売当時の印象にかなった数字といえる。

部品数は2〜5個が52%強で、これは本体と車輪とか、可動部分があるグリコのオマケなどがあることによる数字と思われる。

オマケが箱に入っている状態で全くそのまま使えるか、組立てが必要かで分類すると84%が完成品となり、

その後のプラモデル的な組立てを必要としたロボットモノが、この段階では少なかったことがわかる。

ジョイントやシリーズはそれぞれ1割程度でほとんどが単品のオマケであったようで、

<繋げる>オマケ「ピコタン」の発売から数年のタイミングでは、

まだまだコレクション性の高いオマケが少なかったことがわかって興味深い。

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ピコタンやたこちゅうが発売されて数年のタイミングで発行され、

ピコタン・たこちゅう・カニタン・カメタンという主要なオマケが網羅された、

たこちゅうの生みの親である編著者によって書かれた重要な資料が、

30年以上を経て入手できたことは驚くべきことであると言わざるを得ない。

「こんな本があったらなぁ。」と思っていた本が、ホントにあるとは思っても見なかったのであるが、

それが大きめなワンコイン。

古本屋巡りが癖になるわけだわ・・・、と言い訳をしておく。(^^;)

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で、ついでといってはなんだけど、ピコタンが紹介されている記事を見つけた。

「まだある。大百科 お菓子編」という、ロングセラー商品を紹介する本に、

もうなくなっちゃったけど大流行したオマケを紹介する「おまけのコラム」と題して、

ビッグワンガム等とともにピコタンが紹介されている。

当時子供だった世代には、まさに「あるある!」っていうか「あった、あった!」って感じのコラムである。

おまけとして、「あまりぱっとしなかったようである」ところの動物ピコタンをバックに運動会ピコタンのパッケージの画像を転載する。

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今年が2011年だから、1974年発売のピコタンは36歳。1976年のたこちゅうは34歳・・・。

随分遠い昔になっちゃったもんですねぇ・・・。

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