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続々前へならえ!

タックルボーイ型パチモン

「ピコタン」は明治製菓から1974年に発売されて大流行した。

「集めて繋ぐ」というコレクション性の高いお菓子のおまけは、これが先駆者であると思われる。

「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」浅山守一著より引用

しかし、人形型ブロックと言うアイデアは外国に古くからあったようで、

藤田屋商店から1969年には「ブロックボーイ」、「ピンキーブロック」という名称で

発売されていたことが、玩具商報」という業界誌の広告から判明した。

.玩具商報(昭和44年1月1日号)より引用

.玩具商報(昭和44年8月15日号)より引用

藤田屋商店の方に聞いたところ、海外の見本市で見て意匠権料を払って日本で発売したそうである。

このタイプは顔がピエロだったので、ピエロタイプと称することにした。

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外国発祥の人間型のブロックとしては、ブロックボーイよりもさらに前年、

1968年にトミーから「タックルボーイ」が発売されたことが、「玩具商報」の広告からわかった。

.玩具商報(昭和43年7月15日号)より引用

当時の価格は1セット350円。高さ12センチ。

「タックルボーイ」は、トミ−という玩具業界では一流のメーカーから発売されただけあって、

駄玩具の常識からは想像つかないくらい巨大で高価なおもちゃであった。

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パッケージの文字から意匠公報を発見した。

特許電子図書館より引用

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この前へ習えデザインは、前述の「ブロックボーイ」や「ピンキーブロック」を作った藤田屋商店でも作られた。

ミニヤングボーイ」である。

胴体が楕円形で、客部が柱状であるが、足と脚部、胴体と腕で合体させるアイデアは、「タックルボーイ」と共通している。

身長は7cm程で、大型のピコタンのパチモンである「ジャボタン」と同じくらいの大きさである。

この駄玩具は、籤を引いて該当する番号の商品をもらえる、いわゆる「当てモン」の中くらいのアタリであった。

この前へならえ!デザインの玩具にも、小型のパチモンがあったことがわかった。

形状はタックルボーイによく似ており、サイズは小さく、純正ピコタンとほぼ同じである。

ガチャガチャのカプセルにちょうど入りそうなサイズである。

首の後方には環状の部分があり、ペンダントヘッドに使用できると思われる。

「36〜75」と番号が書かれた箱に入って見つかった。

これも、「当てモンくじ」のハズレだったと思われる。

このパチモンには、胴体下部に「HONGKONG」の刻印が入っている。

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人間型のブロック玩具が、ノベルティーとしてのピコタンの前に、

外国由来のデザインで玩具メーカーから広く発売されていたことがわかった。

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・・・で、ここからが本題である。

前へならえタイプには、大小様々な玩具があったことがわかっているが、

小型の新種が発見された。

香港製と思われるプラスチック駄玩具が入ったカプセルを10数個入手した中に入っていた。

上下とも透明なカプセルに1個ずつが入っている。

素材は硬質なプラスチックで、中央部にパーティングラインがある。頭頂部と背部中央に小さな湯口がある。

左側が先に見つかっていたもの。右側2個が今回の発掘品

大きさはほぼ同じである。素材は以前のものに比べて硬質でシャープな造形である。

背部の環状部分は細い。足も厚さが少なく頭部直径も若干小さい。

特徴的なのは今迄見つかったものと違って、「HONGKONG」の刻印が胴体胸部前部にあることである。

カプセルにも刻印がある。中央にはCの刻印があるが、メーカー名かどうかはわからない。

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これらの小型の前へならえタイプは、トミーの「タックルボーイ」や、藤田屋商店の「ミニヤングボーイ」と

非常によく似ている。普通に考えたら、ガチャガチャ用・ハズレ用に作られたパチモンと考えることが妥当と思われる。

しかし、ネタもとが「タックルボーイ」か「ミニヤングボーイ」かはわからない。

HONGKONG製の刻印から、日本の業者が香港メーカーに製造を依頼したという可能性だけで無く、

ヨーロッパで流行している前へならえタイプを模したパチモンを、

香港メーカーが日本も含めた国内外に向けて作ったものの可能性も考えられる。

香港製の小型タイプにもバリエーションが見つかったことから、

人間型ブロックのアイデアが、世界的に広がりを持ったものであったことが確かめられた。

ガチャガチャのルーツはアメリカのベンダーマシンだったようだが、

その流行の初期には、おもちゃは香港から仕入れたそうで、

これらの小型前へならえタイプも早い段階で香港から輸入されたものである可能性がある。

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で、

見つかる時は続くもので、

この小型前へならえタイプの別タイプが見つかった。

ドーナッツ型のプラスチック容器に、前へならえタイプが84個入っていた。

かなり古いセロハンテープで封されていたことから、ほぼ当時の状態を保っていたものと思われる。

色は緑、青、白、黄色、赤の5色であった。

大きさは先に見つかったHONGKONG製よりも若干小さい。

背中の環状部は省略されている。腕は短く、足は頭部の形状にあわせたO脚になっている。つま先は短く胴体も細い。

左が今回の発掘品。右がHONGKONG製

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ケースにはSTマークがついており、「P2890060」と印刷されている。

この番号は最初のPが日本プラスチック玩具工業協同組合を表す。

「289」はメーカー名、「0」が和歴の下一桁を表し、「060」が登録番号を表す。

(STマークについては、いずれ章を改めて触れることとしたい。)

「P289」が表すメーカーがどこかはわかっていない。

STマークは昭和46年に制定されたので、それ以降の和歴で「0」というと、

昭和50(1975)年と昭和60(1985)年になる。

トミーの「タックルボーイ」が発売されたのは、前述の通り昭和43(1968)年。

昭和50年としても7年後に、いまだ前へならえタイプのブロック玩具が作られていたことになる。

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今迄の前へならえタイプとちがい、この駄玩具には顔があった。

穏やかな顔、まん中分け、怒り顔、びっくり帽子の4種類でエンボスで表現されている。

穏やかな笑顔や、髪型、怒った口元、帽子など、純正の顔と緩やかな類似関係が見られる。

類似が見られる純正ピコタン

明治製菓のピコタンが発売されたのは、明治製菓の社史の年表から昭和49(1974)年であったことがわかった。

それまで顔の無かった前へならえタイプにピコタン似の顔がついたことから考えても、

ピコタンの流行した時、多少古いデザインではあるが、人間型のブロックとしてこのタイで前へならえタイプを

復活させてみたのでは無いかと考えられる。

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やはり外国由来のデザインでピコタンよりも前に発売されたピエロ型でも、

パチモンピコタンと似たスマイルマーク顔のタイプや、

ピコタンの新バージョンである運動会編に影響されたと思われるパチモンが見つかったことからわかるように、

ピコタンの流行は、それ以前に出ていた人間型ブロック玩具に影響を与え、

復活の機会を与えたのでは無いかと思われる。

最初に紹介した「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」にも書かれていたように、

ピコタンは「集めて繋ぐ」というコレクション性の高いお菓子のおまけの嚆矢であったが、

実は同じコンセプトの玩具はすでにあり、それらがピコタンの流行に刺激されて、

発売後数年たった1970年代の中盤に再度勢いを増したことがあったことがわかった。

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で?

だから?

いや、そういうことがあったんですよ。

30年以上前の人間型ブロックの歴史なんて、ここしか無いコンテンツですよ。

日本唯一ですよ。ってことは、世界に唯一ですよ。

すごいでしょ?!

・・・何が?

・・・何がと言われましても・・・。

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