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ピコタン新発売の記憶

スイート ガイド No.12

明治製菓のピコタンが発売されたのは昭和49(1974)年であった。

これは、明治製菓の社史にも記載がある。

「明治製菓の歩み 買う気で作って60年」より引用

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ピコタンは「集めて繋げる」ブロックの先駆的なものだったそうで、

オマケのアイデア集である「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)

(昭和58(1983)年 浅山守一: 自由現代社)にも記載がある。

「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」より引用

この記事にはパート2、パート3が出たが「あまりぱっとしなかった」ことが書かれている。

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その「ぱっとしなかった」第2弾、第3弾が、どうぶつピコタンやピコタン運動会(スポーツ物)というシリーズであった。

販売終了の時期については未確認だが、短命なオマケつき菓子の中ではなりとも販売継続の努力がなされたものと思われる。

明治製菓の社史「明治製菓の歩み」には、動物シリーズや運動会シリーズの画像が掲載されている。

「明治製菓の歩み 買う気でつくって60年」には、どうぶつピコタンのオマケと運動会ピコタンのパッケージが、

「明治製菓の歩み 創業から70年」には、運動会ピコタンのオマケとパッケージが新規格として紹介された画像が載っている。

「明治製菓の歩み 買う気でつくって60年」より(1976)

「明治製菓の歩み 創業から70年」より(1986)

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第2弾の動物ピコタンのパッケージは、書籍への画像掲載も含めて確認されていないが、

第一弾の「ピコタン」のパッケージ写真が「昭和のレトロパッケージ」(2016年 初見健一 グラフィック社)掲載された。

「昭和のレトロパッケージ」より(2016)

このパッケージにはピエロの絵柄がデザインされており「おもちゃいり」と書かれている。

ピコタンには、20種類の顔があるが、ピエロの絵柄は入っていないため、このピエロのデザインは唐突な感じがする。

ピエロの絵柄は、ピコタンよりも前に販売されていた、藤田屋商店の「ブロックボーイ」や「ピンキーブロック」に採用されていた。

左からA型、B型

ピコタンは、各社にプレミアムを売り込んでいたエースプレミアムという会社が、

独自に海外で見つけてきて、明治製菓に提案したものとされているが、

海外で売られていた人間型ブロックにピエロの絵柄が描かれていた可能性が強まった。

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で、ここからが、本題。

このピコタン第1弾のパッケージが載っている資料を入手した。

「Meiji SWEETS GUIDE No.12 1974年秋 明治製菓製品」という販促用の冊子である。

Meiji SWEETS GUIDE No.12

内容は、1974年秋の段階での全商品が掲載されており、

小売店等に明治製菓の営業が持参して商談を進める助けとしたものと思われる。

全24ページで、チョコレート、スナック、ビスケット、キャラメル、キャンディ、ガムの6項目に別れて、

商品写真と価格、荷姿が記載されている。

板チョコに倍程も値段の違うバリエーションがあったことは地味に驚きだが、

チョコレートの章に、新製品としてピコタンが紹介されている。

「ストロベリークリームウェハーチョコ2本入」と書かれている。

スペックは「¥50 24サック×12ボール」とある。

サックは写真にあるパッケージの事と思われる。ボールという単位は良くわからないが、

この写真のパッケージを立ててディスプレイする厚紙製の箱に入って売られていたような記憶があるので、

その紙箱の事では無いかと思われる。

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パッケージの上下は赤・白・青のストライプ柄で、上部にはピエロのイラストがあり、

その帽子には「おもちゃいり」の文字がある。

ピコタンの顔デザインは、老若男女の柄が20種類あるが、その中にはピエロの絵柄はない。

このパッケージのピエロのイラストは、そのことから考えると唐突な印象を受ける。

しかし、ピコタンよりも前に藤田屋商店から発売された「ブロックボーイ」や「ピンキーブロック」はピエロ柄であった。

「ブロックボーイ」や「ピンキーブロック」は、藤田屋商店が海外のおもちゃショーで見かけた人間型ブロックを、

ライセンス生産して販売したものである。

後に藤田屋商店とは全く別のルートで、明治製菓にピコタンが提案されて採用されたことがわかっている。

詳細は「徹底解明!ピコタンのできるまで(玩具商報から)」を参照されたい。

ピコタンや「ピンキーブロック」のもとになった海外の人間型ブロックには、

ピエロのデザインが使われていて、その影響が初期のピコタンのパッケージにも影響を残したものと思われる。、

運動会ピコタンのパッケージにも見られる3色のストライプも、

当初はこのピエロのデザインに関係していた可能性があるのではないだろうか。

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商品コピーには「縦にも横にもつながる つないで遊ぶ「ピコタン人形」」とある。

先述の「ノベルティーズ製作ヒント集 おまけの玩具(おもちゃ)」(昭和58(1983)年 浅山守一: 自由現代社)には、

「M社(注:明治製菓)で起用されたオマケで、大ヒットをとばしたピコタンがある。

このオマケができるまでは繋ぐことに重点をおいたオマケはなかったが、

このピコタンのオマケが、<集めて繋ぐ>オマケのパターンをつくった先駆者かもしれない。」と書かれている。

ピコタンは「繋げるオマケ」の先駆者だったのか、

「Meiji SWEETS GUIDE No.12 1974年秋 明治製菓製品」に掲載されている商品を検討してみた。

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パッケージの種類が多く、コレクション的な楽しみ方をできるものもあるが、

純粋にオマケとしてノベルティが付いているものを探したところ、チョコレートの章のみに、

ピコタンを除いて5種類が確認された。

1、名画チョコレート(500円 新規格):パッケージ全体(?)
2、マーブルチョコレート(80円):いろいろシール
3、仮面ライダーXチョコボール(60円):ライダーシール
4、チビカー(50円 新発売):台紙(ロードマップ)
5、チョコマ(50円):ミニコマ

名画チョコレート

マーブルチョコレート

仮面ライダーXチョコボール

チビカー

チョコマ

名画チョコレートは500円と高価で、パッケージ自体なのか、中にカードかシールが入っているのかはわからない。

マーブルチョコはシール。仮面ライダーXもキャラクターの絵柄のシールである。

チビカーは、道路が繋がる絵柄で、組合わせられる台紙の上を、チョコレートの車をその上で動かすものであり、

繋げるアイデアがあるが、オマケ自体が繋がるものではない。

チョコマは、プラスチック製のオマケが入っている。

持ち手の丈夫に穴が開いているが、この部分で重ねるものかどうかはわからない。

このコマが上下に繋がるものであれば、繋がるオモチャといえるかも知れないが、

ピコタンのように「繋げる」ことを目的にしたものとは言いがたい。

以上の事から、1974年の秋、ピコタンが新発売された当時、それ以降に各社が競って発売したような

「繋げる」ブロックタイプのオマケは存在していなかった可能性が高まった。

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社史の年表を見ても、商品名しか無いためにオマケがあったかどうかは分かりにくいが、

本文中にはチョコスナックに関連してピコタンの記述がある。

「明治製菓の歩み 買う気でつくって60年」より(1976)

明治製菓の社史「明治製菓の歩み 買う気でつくって60年」には以下の記述がある。

1974年の「なんきんまね」に続いて、オモチャ入りの「ピコタン」が発売され、

それ以降、「きのこの山」や「ポポロン」といったチョコスナックを次々に発売したとある。

ここでは、チョコレートとスナックを高度な技術で融合して新しい菓子の分野を開拓したことを言っているが、

「ピコタン」に関しては、「オモチャ入り」であることを特筆している。

「明治製菓の歩み 創業から70年」より(1986)

10年後の70年史では、「なんきんまね」等、同様に紹介しているが、

それぞれの記述は短くなり、「ピコタン」も「オマケ入り」の記述が消えている。

60年史は「ピコタン」の発売から2年の1976年に刊行されているので、

比較的近い出来事としてオモチャ入りであることを書いているが、

70年史は1986年と、「ピコタン」の発売から12年と時間が経ち、

扱いも小さくなったものと思われる。

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明治製菓は1974年の「ピコタン」の後、

1975年には、「合体チョコボール」を発売している。

これは、明治製菓(現 明治)の「きのこの山」の30年記念サイトに紹介されていた。

※明治製菓様より画像使用許諾。無断転載を禁ず。

この画像も、今回発見された商品カタログのような商業印刷物からのスキャンと思われる。

ピコタンとはジョイントの形状が違っているが、サイズもほぼ同じで、立体的な分、入り数は半分1個になっているが、

似た形態の「おもちゃ」が入っていたといえる。

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ピコタンは、第2弾(どうぶつ)、第3弾(うんどうかい)シリーズがあったことがわかっている。

ピコタンの販売期間は良くわかっていないが、一時的にはピコタンと明治合体チョコボールが両方販売されていた可能性がある。

近所の駄菓子屋では、ピコタンと明治合体チョコボールのパチモンが同じ時期に販売されていた記憶がある。

ピコタンの後には、2パーツに進化したカニタンやカメタンが販売されているし、

他にもこのての繋げるオモチャ入りの菓子が各社から発売されていた。

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ピコタンで先行した明治製菓は、その後もオマケ入りのチョコスナックを続々発売していたらしいことが、

70年史の記述から垣間見られる。

70年史の刊行は1986(昭和61)年である。

「明治製菓の歩み 創業から70年」より(1986)

シールやオモチャなどを付けた、子供向け商品の市場規模が拡大し、

オリジナルのものも含め、キャラクター商品が多くつくられ、一つのトピックスを構成していることは、

非常に興味深い。70年史には、そういったキャラクター商品を集めた写真が掲載されている。

「明治製菓の歩み 創業から70年」より(1986)

ピコタンの発売からそんなに時間が経っていない「カメタン」があることからも、

60年史で取り上げられた「オモチャ付き菓子」の10年を辿ったものであることが推察される。

コラムにあったように、「おまけしだいでそのライフサイクルは短くなる傾向が強い」ためか、

これらの商品群を当時、店頭で見た覚えは無い。

右下のクラッシャージョ−はわかるし、左上のゴッドマジンガーもアニメのようであるが、

それ以外はオリジナルキャラクターのようである。多パーツでプラモデル等と称しているものもあり、

輪ゴムを使って射出するギミックもあったもののようであるが、詳細は不明である。

ピコタンやカニタンといった「繋ぐオモチャ」では満足されなくなったのか、

変形したりパーツを動かせたりする、より進化したオモチャに変わっていったもののようである。

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今回、明治製菓の74年の商品カタログによって、

あらためてピコタンが繋ぐオモチャの元祖的な存在であることを再確認した。

さらに、年史を詳細に再検討することで、明治製菓がピコタン、明治合体チョコボールの後も、

オモチャ入りの菓子を多く発売していたことがわかった。

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しかし、1986年に刊行された70年史で、子供向けオモチャ入り菓子の隆盛を強調した、ちょうどその頃、

ロッテから「ビックリマンチョコ」が発売され、そのシールが大流行している。

その流行は、ロッテの社史「ロッテ50年のあゆみ 21世紀へ」によると、4年も続いたといい、

その後はオモチャよりもシールへ、その流行の中心は移ってしまったようである。

1980年代後半以降の菓子のオモチャについては資料が少ないため、まとまった考察はできないが、

2000年代初めに、フルタのチョコエッグが、海洋堂の造形した高品位なフィギアを封入して大ヒットするまで、

大きくヒットすることもなく、それでも無くなるわけでもなく、細々と存続していたと思われる。

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この手の子供の流行アイテムは、それぞれの時代ごとに、それぞれの時代を過ごした書き手が書いた文章はあるが、

戦前のグリコから、現代のフィギア、ガシャポンまで横断的にまとめた本は見たことが無い。

無いことはないのかもしれないが、少なくともピコタンからたこちゅうあたりまでのまとまった記述は無いようである。

だれか、読みごたえある文章で、300ページぐらいの事典的な読み物をだしてくれないだろうか。

まぁ、出ても、ウチはピコタン、たこちゅう、明治合体チョコが専門なんで、買わないかも知れないけど。

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今回のカタログ、高かったんですけど、写真にかかるボールペンの書き込みがあり、ちょっと残念でした。

でも、当時の営業が、菓子屋なのか問屋なのか、カタログを広げてペンでぐりぐり注目して欲しいところに書き込みながら、

口角泡を飛ばして売り込んでいる姿を彷佛とさせて、面白いと言っちゃぁ面白いものでありました。

あぁ、昔から、モノを売るってのは、大変だったんだなぁ、と、妙なところに共感してしまうのは、

自分が疲れた大人になっちゃったって事なのかも知れませんねぇ。

年は取りたく無いもんですねぇ。

でも、しょうがないっすよ。1974年が40年以上前になっちゃってるんだから。

どうしたもんですかねぇ。

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・・・別にどうしようもないことなんですがね。

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